読みたいトコだけ買える本。
犬耳書店
初めての方へ 記事一覧 無料登録 ログイン
0
-1
kiji
0
1
1084321
0
狂暴国家 中国の正体
2
0
0
0
0
0
0
ルポ・エッセイ
お気に入りとは?

お気に入りボタンを押すとお気に入りリストにこのページが追加されます。興味のあるページ・気になったページを後から確認するのに便利です。

お気に入り お気に入り
国民の不満は外敵に向けさせる

『狂暴国家 中国の正体』
[著]楊海英 [発行]扶桑社


読了目安時間:8分
この記事が役に立った
0
| |
文字サイズ



 一九七九年二月、中国人民解放軍はベトナムに攻め込みました。広く知られている中越戦争です。その戦争を中国は当時「ベトナムを懲罰する戦争」と呼んで喧伝していました。当時、私は高校二年生でしたが、一学年上の先輩たちが「共和国賛歌」というたいそうプロパガンダ的な、戦意高揚の軍歌を歌いながら出征していったのを覚えています。その姿を見て、当時の私は祖国を守るということは大変刺激的なことなのだと思いましたから、やはり中国政府はナショナリズムを刺激するプロパガンダが上手だったのでしょう。その直後から、当時、テレビはまだ普及していなかったので、ニュース映画でベトナムを懲罰するという映像が大量に流されていて、中国に領土問題があるという事実を改めて知りました。


 しかし、その後に分かったことですが、この戦争は文化大革命によって高まった自国民の不満を国外へと転換するために、あえて起こした戦争だったのです。一九六六年から一九七六年まで一〇年間にわたって続いた文化大革命は、少数民族だけではなく、中国人にも大きな不満を生じさせていました。その不満をどうガス抜きしようかと、当時の中国指導者が考えていたのです。中越戦争が始まった一九七九年当時、中国は文化大革命による被害者の名誉回復作業を進めていましたが、限定的な名誉回復だけではなかなか不満が消えなかったのです。そこで、外敵に国民の目を向けさせる必要があったのです。


 それまで中国にとっての主敵はソ連でした。一九六〇年代の中ソ対立以来、ソ連あるいはモンゴル人民共和国を修正主義国家と呼んで、激しく対立していました。一九六九年春にはダマンスキー島(中国名は珍宝島)で直接、軍事衝突も発生しました。ただ、中ソ対立がいくぶん和らいできたことと、何よりもソ連という強大な国を「懲罰」するわけにはいかないので、別の対象を選ぶ必要があったわけです。そしてちょうどそのころ、ベトナムとの領土問題が噴出したので、渡りに船とばかりにベトナムに狙いを定めたのでした。


 一九七九年二月、中国は大軍を擁してベトナムに改め込みましたが、中国軍は装備が悪く士気も低かったので大損害を被ります。しかし、中国国内では「われわれが勝った」と盛んに宣伝していました。

「ベトナムを懲罰する戦い」には、近年における中国の官制ナショナリズムの特徴が端的に表れています。社会主義中国にとって、常に外敵は必要不可欠なのです。この中越戦争以外にでも、国内問題を解決できなくなると、中国は必ず外敵をつくってきました。一九六二年に起きた中印国境紛争は、一九五八年から続いた大規模な公有化政策(大躍進)で四〇〇〇万人近い自国民を餓死させた政府の責任から目をそらすためでした。中国国歌には「中華民族はまさに今、危機状態にある。立ち上がれ」といった歌詞があります。危機的な状況といっても、決して国内的な危機だとは彼らは言いません。そんなことを言えば、共産党による一党独裁の正当性を疑われるから、危機は常に外からもたらされるのです。「祖国は西側帝国主義者やソ連修正主義者に虎視眈々と狙われている」と、不信の眼差しで国際社会を見渡して、建国当初から必要以上に国民に危機感を煽ってきました。


 そしてベトナムの次は、日本が標的になりました。一九八〇年代前半は中曽根首相と胡耀邦主席の間で、ごく短い蜜月期が築かれましたが、中曽根首相の靖国参拝問題と歴史教科書問題が起きて以降は、今日に至るまでずっと日本が国民向けの「敵」になっています。


 今日のスプラトリー(南沙)諸島の問題を見ても、昔からのやり方が再び表れただけで、驚くほどのことではありません。台湾、アメリカ、ソ連、ベトナム、日本ときて、現在はフィリピンも加わりました。さまざまな国が中国の敵にされています。おそらく中越戦争当時は文化大革命という不満でしたが、今や中国国内に山積する問題は文化大革命を超えるので、敵が多ければ多いほど都合がいい。そういう状況ではないかと思います。今、中国は経済バブルの問題、あるいはシャドーバンキング(銀行を介さない金融取引)問題はあるし、民族問題や漢民族自身の農民問題も解決できていない。そもそも、このまま一党独裁を維持できるかどうかの問題もあります。中国共産党は四面楚歌の状況なのです。そこであえて多くの敵をつくって「危機的な状況」を演出し、それを国内統治に利用しているのです。昨今の中国の急激な膨張策は南へも波及しているので、しばらく忘れられていたベトナムが、再び敵として利用できるようになったということでしょう。


 中国の官制ナショナリズムを理解するためには、少し歴史を遡って考察する必要があります。私は今の中国の状況は、一八世紀後半のフランスや二〇世紀前半のナチス・ドイツと非常に似ていると考えています。フランスは革命という聖なる理念を実現させた直後に、「祖国は危機のなかにあり」として「フランス国民」の団結をセンセーショナルに煽りました。経済的には国有化政策を実施して、周辺にあった小国、例えばベルギーなどを一方的に併合したりもしました。そして、異なる意見を持つ集団に対して一七八九年と一七九二年に大量虐殺を行い、反体制派として次から次へとギロチン台に送り込みました。その際に国民は歓呼していましたが、そうしたナショナリズムは独裁を招き、そのツケは結局、国民に回ってきたわけです。


 ナチス・ドイツの場合は、ゲルマン民族の優秀さを極端に強調し、「劣等民族」(例えばユダヤ人など)へのホロコーストと、「劣等国家」への侵略が発動されました。中国もずっと「中華民族は世界でもっとも優秀な人々だ。ただ、一八四〇年からのアヘン戦争に敗れて侵略され、遅れただけだ」と言い張っています。民族の優劣を強調する一方で「優秀なのに遅れた」というコンプレックスとトラウマが、人々をナショナリズムに駆り立てています。



 近代的な革命を目指したはずの孫文ですが、この古い差別用語を用いたところから、彼が主導した辛亥革命の真髄も、結局は元朝を北へ追って明朝を打ち立てた朱元璋の、素朴な排他的理念と何ら変わりはなかったことがわかります。そして、「野蛮な韃虜」を駆逐して革命を成功させると、今度は「優れた中国人」が建てた中華民国が、他の民族の上に君臨するようになりました。建前上は「五族共和」を掲げていたものの、孫文の後継者である蔣介石の顧問を務めたアメリカ人歴史学者で、オーウェン・ラティモアも「中国は西欧列強の植民地だが、少数民族には植民地政策を採っている。第二の帝国主義だ」と指摘しています。


 その後、中華人民共和国になると、対外的な「反西欧列強」のナショナリズムと、少数民族の植民地支配の体制自体はそのまま引き継がれますが、対内的なナショナリズムは「反異民族」から「異民族をも統合しようとする大国主義的ナショナリズム」に変容します。満洲族、チベット族、ウイグル族、そして私のようなモンゴル人は、九四パーセントを占める中国人への同化を強制され、宗教や言葉など民族文化を守ろうとすると、「分裂主義者」として弾圧されました。その際に、血なまぐさい殺戮をもって対応する残虐性もまた、中国人ナショナリズムの特徴です。私や愛知大学の加々美光行教授はこれを「中華型ジェノサイド」だと表現しています。(序章、注3参照)


 対外と対内、この二つのナショナリズムにはひとつの中心軸があります。それは「愛国主義」です。中国共産党は「反革命の蔣介石」を台湾に追放しましたが、その蔣介石でさえ台湾独立を宣言しなかったので、「彼にも愛国心があった」と、昔からそれなりに評価されていました。中国は一党独裁ですが、華僑は資本家でも「愛国者」になれます。つまり、「愛国主義というナショナリズム」は、常に共産主義思想を超越しているのです。おそらくは、そこが中国とソ連との違いであり、少数民族への態度の温度差となって表れたのではないでしょうか。要するに、中国はマルクス・レーニン主義を看板に掲げながら、実際には「愛国主義的なナショナリズム優先の社会主義」でした。言い換えれば、「中華思想を衣の下に隠した社会主義」だったのです。


この記事は役に立ちましたか?

役に立った
0
残り:0文字/本文:3617文字
この記事を買った人はこれも買っています
      この記事を収録している本
      この本で最も売れている記事
      レビューを書くレビューを書く

      レビューを書いてポイントゲット!【詳細はこちら】

      この本の目次