朝鮮半島の人々がシナとの付き合いに苦心してきたことは、彼らの国民性にも影響を及ぼしています。例えば、一七八〇年に清朝皇帝の古希祝いに参列するために、北京と夏の避暑地である熱河を訪れた朝鮮王朝の使者が書いた『熱河日記』という史料があります。
使者は旅の途中で満洲人貴族と歓談した際には、「漢人は唾を吐くし下品なやつらですよね。統治するのも大変でしょう」と持ちかけ、「朝鮮人は漢人より字が読めるし、儒教にも詳しい」と教養を自慢します。満洲人貴族は軍人なので、漢詩などにもさして興味がなく、「へえ、そうなの」と聞き流すのですが、その使者が次に中国人の知識人に会うと「北狄に支配されて大変でしょう。