フランス革命以降、資本主義にしろ社会主義にしろ、指導者たちは国民国家をつくろうとして、とにかく国民の統合を進めようとしてきました。例えば本家フランスにしても、アルザス地方にはドイツ語を話す人々がいたし、スペインとの間にはインド・ヨーロッパ系の言語に属さない言葉を母語とするバスク人もいました。しかし、無理やり「フランス国民はフランス語を話すのだ」といった具合に統合したわけです。そのため現在でもバスク地方に民族問題などが残っているのは事実です。しかし、民族問題が過激化しないのは、やはり民主主義が大前提で人権が保証されているからであり、そして緩やかな統合だからです。