『<伊達政宗と戦国時代>独眼に炎を宿す! 政宗の野望』
[著]工藤章興
[発行]学研
徳川家康の覇権簒奪に向けての策動は、豊臣秀吉の死のわずか数か月後から開始された。手はじめは秀吉の遺法である私的婚姻禁止の掟を破っての有力大名との縁組だった。
慶長四年(一五九九)早々、養女を福島正則の養嗣子・正之、蜂須賀家政の世子・至鎮に嫁がせる約束を交わした。家康の魔手は伊達政宗にも伸ばされ、一月二十日、堺の町人・今井宗薫の仲介によって家康六男の忠輝と政宗長女の五郎八の婚約がなった。