『<伊達政宗と戦国時代>時代を見極めた眼力 奥羽の独眼竜伊達政宗』
[著]永岡慶之助
[発行]学研
慶長八年、将軍家康から江戸桜田に屋敷を与えられた政宗は、以後、ほぼ一年前後ずつ仙台と江戸で交互に生活することになるが、この頃を境に政宗は、俄然、家康のふところ深くへと入っていく。
二年後の十年(一六〇五)四月、家康は将軍職を三男秀忠に譲り、自身は駿府城にあって「大御所」とよばれることとなる。その二代将軍宣下のための上洛に、政宗は秀忠の先駆をつとめており、翌十一年(一六〇六)には、新将軍秀忠を桜田の自邸に招じ、同じ年の暮には、かつて今井宗薫を介して婚約したなり、沙汰止みになっていた、家康の六男忠輝に長女五郎八姫を嫁がしている。