読みたいトコだけ買える本。
犬耳書店
初めての方へ 記事一覧 無料登録 ログイン

犬耳書店はRenta!へ統合いたします

(2021/11/26 追記)

犬耳書店の作品をRenta!に順次移行します。
詳しくはこちらでご確認いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

0
-1
kiji
0
1
1090366
0
太平洋戦争99の謎
2
0
0
0
0
0
0
歴史
お気に入りとは?

お気に入りボタンを押すとお気に入りリストにこのページが追加されます。興味のあるページ・気になったページを後から確認するのに便利です。

お気に入り お気に入り
はじめに

『太平洋戦争99の謎』
[著]出口宗和 [発行]二見書房


読了目安時間:3分
この記事が役に立った
0
| |
文字サイズ


 終戦(敗戦)七十年にあたる二〇一五年四月、天皇皇后両陛下の、パラオにおける今大戦の慰霊訪問が行なわれた。パラオ諸島(現パラオ共和国)はかつての日本の南洋植民地(国際連盟委任統治)で、(りん)(こう)の生産地でもあった。


 パラオ諸島が太平洋戦争のなかで注目されるようになったのは、末期の昭和十九年から。日本はすでにサイパンを含むマリアナ諸島を失い、太平洋全域の制空、制海権は完全に奪われていた。一方、連合軍(米軍)は日本の支配下にあったフィリピンを奪還、解放すべく上陸作戦を展開しつつあった。パラオ諸島は、ここにおいて日本軍のフィリピン防衛の前線基地となった。とくにわずか東西九キロ、南北三キロの小島ペリリュー島に一万余の守備隊が配備された。


 昭和十九年九月、米軍の攻撃が開始、攻略部隊は四万五千余、昼夜の空爆と艦砲射撃が間断なく繰り返された。圧倒的な米軍の火器に対して、ペリリュー島守備隊は、支援もなく劣悪な装備のなか絶望的な戦いを強いられた。当初、米軍も二、三日で陥ちると楽観していたが、戦闘一カ月を要した。地下陣地を築いて抗戦した守備隊の生存者はわずか数十人といわれている。大本営はひたすら「死守せよ」と叫び続けるのみ。生きることを許されない戦いの結果だった。そしてこのペリリュー島の戦いは、戦後も知られることなく、忘れられた戦場といわれてきた。両陛下のこの慰霊によってようやく日の目を見ることになった。


 ここで重要なことは、この悲劇、惨劇はひとりペリリュー島の戦いだけではなかったということ。太平洋戦争を通じて、至る所の戦場で繰り返し繰り返し続けられてきた。


 終結、敗北、敗戦にどうして三百万人以上の犠牲者を必要としたのか。太平洋戦争はまさに反省無き戦争であった。それこそ「謎」としかいいようがない。


 勝利に(ことわり)なし。敗北に必ず理あり。負けを理解し、反省したもののみが、戦いの本質を理解できるのだ。とすれば、ただ太平洋戦争を「無謀な戦争」という一言で片づけるのではなく、つねに「なぜ」「何のために」から見直すべきであろう。


 本書は太平洋戦争における戦略、戦闘、作戦の主なるものの概要をまとめたものだ。太平洋戦争のほんの断片に過ぎない。自虐史観であろうが、東京裁判史観であろうが、また聖戦をなお主張されるのも結構。とりあえず見直そう。悲惨な父祖の体験を学び直そう。


 戦地から帰還した父親が、太平洋戦争についていった言葉は、兵(一兵卒)は逃げられない、戦争とはそういうものだと。


 戦後七十年、その風化が叫ばれて久しい。世界では戦争、紛争は未だ絶えない。テロの脅威は増した。そんな不穏ななかにあっては国権による戦争放棄の理念を求め続けることのみが、それ(風化)を押しとどめることである。悲劇を繰り返さないためにも。



 二〇一五年 夏(改訂版にあたって)

出口 宗和

この記事は役に立ちましたか?

役に立った
0
残り:0文字/本文:1188文字
この記事を買った人はこれも買っています
      この記事を収録している本
      この本で最も売れている記事
      レビューを書くレビューを書く

      レビューを書いてポイントゲット!【詳細はこちら】

      この本の目次