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プロデュース入門―オリジナリティが壁を破る
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§1−1 構想

『プロデュース入門―オリジナリティが壁を破る』
[著]平野暁臣 [発行]イースト・プレス


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§1-1 構想

それは一本の電話から、はじまった

六本木ヒルズアリーナの仕事は知人が掛けてきた一本の電話からはじまった。

「森ビルの森稔社長が君に会いたいと言っている」という話だった。事情がまったくわからないまま、当時アークヒルズにあった森ビル本社に伺うことになった。むろん初対面だ。


 笑顔で応接室に現れた森さんの手には、ぼくの著書『イベントの底力』が握られていた。一瞥しただけで、何度もページをめくったことがはっきりとわかる。嬉しかった。


 「いま六本木ヒルズという新しい街をつくっているのだが、その真ん中に野外のイベントスペースを設けた。そこから六本木ヒルズらしいイベントを発信したい。ついてはあなたの力を貸してほしい」。森さんは単刀直入にそう切り出した。


 あまりに突然のオファー。しかもぼくは六本木ヒルズをまったく知らない。正直にいえば「以前シネ・ヴィヴァンがあった辺りで大きな再開発が進んでいる」という程度の知識しかなかったし、「六本木ヒルズ」という名称さえはじめて聞いた。2002年11月のことだ。


 資料を一目見ただけで、これまでにないスケールの事業であることがわかった。多くの都市機能が集積している姿は明らかに「施設」を超えて「街」と呼ぶべき規模にあるし、クォリティのレベルも世界最高水準だ。当然ながらイベントによるコミュニケーションが不可欠だろう。


 だが翌年4月の開業まであと5か月しかない。そのうえつくらねばならないのは単発の“花火”ではなくプログラムが連鎖する“運動体”だ。ぼく自身経験がないし、なにより時間が足りない。


 おそらく根幹となるコンセプトをどう組み立てるかが勝負だろう。それ無しにはスタートできないし、それですべてが決まってしまうに違いない。


 果たしてそれが見つかるか? 残り5か月で本番まで辿り着けるか? いまこの場で引き受けて責任が取れるか? ……。


 自問自答しているうちに面談は終わり、気がついたらプロデューサーを引き受けることになっていた。



「国際Aマッチ」の街


 六本木ヒルズに生まれ変わった六本木六丁目は、テレビ朝日のような大規模施設から昔ながらのしもた屋まで、種々の営みが混在する雑多なエリアだった。古い民家が密集する地区には下町のライフスタイルが残る一方で、道が狭く消防車が入れないなど防災上の問題も抱えていたと聞く。


 森ビルはここに暮らす数百世帯の住民とともに再開発組合をつくり、延べ17年の歳月をかけて老朽化した街区を新しく再生させた。


 特質すべきはその開発思想だ。普通に考えれば、つまりは経済合理性だけを考えれば、無機質なビルが規則的に立ち並ぶ光景が広がっていたはずだ。実際、汐留や品川など他の再開発エリアはみなそうなっている。だが森ビルは単純なオフィス群にはしなかった。そこには夜遅くまで開いている美術館と24時間利用可能な図書館があり、当代随一のシネコンがあり、大きな池と日本庭園があり、路面店が並ぶ遊歩道と児童公園がある。水田までつくられた。明確なビジョンがあったからだ。


 いま、世界の街は激しい都市間競争に晒されている。優れた企業や人材をいかに取り込むか、という戦いである。欧米だけではない。上海やシンガポールをはじめアジアの都市も必死だ。グローバル化が進む社会・経済をリードする人や企業を吸引できなければ、都市の活力を維持することはできない。


 クリエイティブな企業や人材がそこで暮らすことに魅力を感じ、やる気を起す街でなければ競争には勝てない。職住が近接し、クリエイティブなライフスタイルを満たしてくれる街。機能、空間、デザイン、サービス、アクティビティ……、すべてにおいて国際レベルのクォリティが求められる。ライバルは世界なのだ。


 しかし、いままで日本にはこのレベルで戦おうとするディベロッパーはいなかった。はっきり言えば、隣のビルより高く貸せるか、あのマンションより高く売れるか、といったことしか考えてこなかった。


 それに対して、六本木ヒルズの視線は確実に世界を向いている。世界と東京の関係を視野に置いて物事を考えている。明らかに志が違うし、ステージが違う。日本の再開発がはじめて臨む「国際Aマッチ」なのだと思った。


 だから、ぼくがお手伝いするイベントも国際Aマッチを戦う武器にならなければ意味がない。たいへんな仕事を引き受けてしまった。面談が終わり冷静に考えられるようになって、だんだんと事の重大さに気がついてきた。


アイデアは現場から生まれる


 とにかく現場が見たい。そうお願いして、そのまま建設中の現場を案内してもらうことにした。なにしろ、なにかを考えようにもまったく実感がないのだ。


 実感がないところにアイデアは生まれない。それこそぼくの実感である。リアリティを実感できないまま机の上で空想したり、苦し紛れにひねり出したりしたところで、まずそのアイデアは使えない。往々にしてそういうときに出てくるアイデアは一見とんがって見えるのだが、結局は観念レベルで抽象操作を重ねただけだから、合理性と説得力を欠いていて、誰をも納得させる力をもつ案にはならない。仮に実現したところで「オレはなんでこんなことやってるんだっけ?」という話になる。当たり前だが地に足がついていなければダメなのだ。


 面談の際に図面を見ていたから想像はついていたものの、実際に現場を目にしたときには頭が真っ白になった。目の前に広がる光景があまりに“シンプル”だったからだ。要するに、なにもないのである。20m上空に楕円の屋根が架けられているだけで、構想の手掛かりになりそうなものがなにひとつない。はっきり言えば、二つの巨大な建物の間に残された「空地」に過ぎないのだ。


 「ここでなにをすればいい?」「この場所でなにができる?」「そもそもこの場所はいったい何なんだ?」……。


 どうすればいいのか皆目見当がつかないまま、工事中の景色をボーっと見ていることしかできなかった。


ミッションから発想する


 プロデュースの仕事で予想外の問題が起きたり、行き詰まったり、大きな決断を要する事態に直面したとき、ぼくは必ずミッションに立ち戻る。プロジェクトとはミッションを達成するためにあるのだから、当たり前のことだ。プロジェクトの難度が高いときほど、また事態が複雑なときほど、判断の拠り所はシンプルな方がいい。そして、その拠り所としてミッション以上のものはない。だからこういうとき、ぼくはミッションのことだけを考える。


 ぼくに与えられたミッションとはなにか?


 考えはじめたぼくの頭の中に、ひとつの言葉が鮮明に浮かび上がってきた。


 『アイデアが生まれる街』


 先ほど森さんが六本木ヒルズの開発理念を語ってくれたときに出てきたフレーズだ。六本木ヒルズが目指す都市像を象徴するキーワードで、開発当初から計画の拠り所としてきた概念らしい。


 こんなことを考えながらビルを建てている人がいるなんて!


 なにも知らずに一般の不動産開発をイメージしていたぼくは、この言葉を聞いてとても驚き、志の高さに共感したのだった。だから強烈に印象に残っていた。


 そうだ! ぼくがやるべきこともこれだ! イベントというメディアを使ってこの哲学を目に見える形で表現する。理念を体現するイベントを来街者に体験させることでメッセージを社会に伝える。それがぼくのミッションなのだと気がついた。


 イベントとは「出来事」だ。では「アイデアが生まれる」ための「出来事」とはなにか? アイデアのきっかけになる出来事、アイデアの抽出しをつくる出来事、アイデアを拡げる出来事……。


 アイデアの源とは「知的な刺激」だ。知的な刺激を与える出来事をここから送り出せばいい。できれば既知のものより未知のものがいい……。そんなことを考えながら「なにもない空地」を眺めていた。


頭の中にイメージを広げる


 そのまま見るとはなしに工事風景を眺めているうちに、あるイメージが頭の中に広がってきた。若いときから何度も目にしたヨーロッパの広場だった。なんだ、ここは「広場」じゃないか。無意識にそう考えたのだと思う。


 西洋には「広場の文化」がある。どんなに小さな街にも必ず広場があって、普段の生活の核になっている。それだけではない。欧米にはその名を世界に轟かせている名物広場がたくさんある。パリのポンピドーセンターの前庭では世界から集まったパフォーマーが腕を競っているし、ロンドンのコベントガーデンはいつも蚤の市やストリートミュージシャンで賑わっている。ロックフェラーセンターに現れる巨大なクリスマスツリーとスケートリンクはニューヨークの冬を代表する風物詩だ。


 ここがそうなってくれたらいいなぁ。漠然とそう思った。国際Aマッチの街に相応しいワールドクラスの広場ができたら楽しいだろうなぁ。インパクトもあるし意義もある。でもそんなことができるのか?


 むろんパリやロンドンを真似ても意味がない。先輩の広場にはいずれも時間をかけて獲得してきた固有の(かお)とイメージがあるし、そもそもバックグラウンドとしての文化が違う。日本の、しかも生まれたばかりの街で同じ状況を望んでも絵に描いた餅だ。同じ土俵で戦ったのでは勝負にならない。


 ではどうすればいい? もう一度ミッションを考えた。期待されているのは「知的な刺激に満ちた場所」にすることだ。いつも未知の刺激が待っている場所に……。


迷ったら逆をいく


 そうだ。彼らの逆を行こう。歴史もイメージももたないことを逆手にとって、先輩の広場たちとはまったく逆の構造をつくるのだ。


 確かにポンピドー広場にはいつもストリートパフォーマーがいる。誰もがそれを知っているし、行けば必ずその光景に出合える。ルーブルのモナリザと同じだ。だがそれを逆から見れば「ストリートパフォーマーしかいない」ということでもある。ポンピドー広場はもはや「パフォーマーのいる場所」以外にはなりようがない。


 その逆を行くのだ。


 「行けば必ずなにかが待っている」けれど、「何が待っているかは行ってみなければわからない」。だから「行く度に違う刺激と出合える」。


 世界を見渡してもそんな広場はない。実現したらきっとエキサイティングだし、話題になる。なにより『アイデアの生まれる街』という開発理念を身をもって語ることができる。


 次々とイメージが湧いてきた。


 劇場的な空間の中で荘厳なオペラのコンサートが開かれたと思ったら、翌日にはそのすべてが消えて賑やかなカリブの祭りがはじまる。その翌日にはロウソクが灯る妖しいナイトクラブが立ち上がり、次の日はさわやかな日差しの中で近隣の母親たちが井戸端会議に花を咲かせる。翌日は前衛アーティストが空間全体をジャックし、その次の日にはセレブたちがパーティを開いていて………。


 こんな広場ができたら面白い。変幻自在。いつも何かが起きている。これなら「なにもない」ことが武器になる。


 「ミッションはなにか」を突き詰めていけば、アイデアは必ず降りてくる。


プロジェクトの基盤になるのは「構造」


 プロジェクトと呼ばれる営みはすべて、なんらかのアイデアを必要とする。新しいアイデアなしで不都合なくオペレーションできるとすれば、それはもはやルーティンであってプロジェクトではない。プロジェクトとは独自のアイデアを核に進行するものであり、中核となるアイデアのクォリティがプロジェクトそのもののクォリティを決定する。ゆえにプロデュースの仕事からアイデア化のプロセスが外れることはない。


 むろんここでいうアイデアとは単なる思いつきとは違う。斬新ならいいというものではないし、面白ければいいわけでもない。プロジェクトの土台に据えて最後まで頼る存在だから、プロジェクト全体を束ねるに足る原理と構造を備えていなければ力をもたないし、プロジェクト全体に敷衍可能なリアリティがなければ意味がない。やるべきことは「構想」であって「空想」ではない。


 『アイデアの生まれる街』に相応しい「いつもなにかが起きている広場」。行くたびに「未知の知的な刺激が待っている広場」。


 これはプロジェクトの根幹を構造レベルで決定するアイデアであり、プロジェクト運営の基本原理となるものだ。「あそこにキリンがいたら面白いんじゃないか」といった類いのメニューレベルの話ではない。『構想』とはそういうものであって、発想の土俵はあくまでプロジェクト全体の「構造」であり「原理」だ。プロジェクトの核をつくる以上、全体を見抜き、見通す視座が要る。


 よく企画書などで脈絡のない雑多なアイデアを並べた「アイデアフラッシュ」と呼ばれるものがある。いわばアイデアのカタログで、その中から気に入ったアイデアを選ぶわけだ。この「アイデアフラッシュ」と『構想』が似て非なるものであることがおわかりいただけたと思う。


「最初の形」をつくる


 構想段階では、プロジェクトの基本アイデアを発想し、それを基にコンセプトを組み立てる。「プロジェクトとしての枠組み」を考え、「破綻のない全体像」を思い描くわけだ。喩えて言うなら、ロクロを挽いたり手でこねたりしながら、粘土の塊からある形をひねり出すようなものである。


 プロジェクトというものは、多くの場合、部分をひとつずつ順に確定しながら前に進むという方法には馴染まない。つまりスゴロクのようには進まない。「部分だけを見ながら順番に処理していったところ、いつの間にかプロジェクトは成功していました」とは絶対にならないわけで、当初から全体像を構造的に捉えていなければならず、そのためには全体を俯瞰する態度が不可欠だ。


 もちろん最初から全部が見通せるわけではない。というより、ほとんど見えていない。それでもとにかく、仮説や想定で補いながらでいいから、いちど全体像をイメージしてみることが大切だ。


 おそらくはじめはいびつだったり欠落部分があったりするだろう。だがそれはいい。それが見えていれば進行過程で補っていけるからだ。全体を俯瞰する視座をもっていれば、ゆがみがあることくらいは察しがつく。


 しかし、パーツしか見ていない、見ようとしない者はパーツ単体の形の良し悪ししか判断できないから、なにが欠けているのかわからないし、全体がどっちに進んでいるのかも掴めない。だから、どこに向かっているのかわからないまま流されていく。これがプロジェクトにとって最悪の事態だ。


 プロジェクトのマネージメントとは、粘土の塊から「だいたいの形」が生まれ、それが全体として徐々に形が整えられていくやきものに似ている。最初は輪郭がイメージできる程度の荒くて甘い形に過ぎないが、それがだんだんと精度を高め、洗練された造形美を獲得していく。既存の完成パーツを端から組み合わせていく「レゴ」とは方法論が正反対なのである。


 『構想』とはその「最初の形」をつくることを言う。おぼろげながら形がわかるレベルに過ぎないけれど、作者がなにをつくろうとしているのかははっきりわかる。茶器なのか壺なのか皿なのか、ふくよかなのかスリムなのか、整った形なのか歪みをつくりたいのか………。最終型のアウトラインやそこに向う方向性は明確に現れるし、それが読み取れないようでは作品としての見込みはない。


 言い換えれば、「最初の形」にプロジェクトの輪郭と本質が必ずや内包されるはずであり、だからこそ、この段階で核心となるアイデアが織り込まれていなければならないのである。「アイデアのクォリティがプロジェクトのクォリティを決める」とはそういうことだ。


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