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記者会見ゲリラ戦記
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ルポ・エッセイ
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第一章 記者会見突撃記 〜首相官邸への道〜

『記者会見ゲリラ戦記』
[著]畠山理仁 [発行]扶桑社


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なぜ私は記者会見に出るのか

 

 記者会見とは“公の場”である。それが世界の常識だ。

 ところが日本における記者会見は、ちょっと様子が違う。日本には世界遺産よりも珍しい「記者クラブ制度」があるため、記者会見の場に「立ち会える人間」と「立ち会えない人間」の二種類が生まれているからだ。

 さらに細かく言うと「立ち会える人間」の中にも“階級”がある。なんと「質問する権利を持つ記者」と「質問する権利を持たない記者」(オブザーバー)という不思議な区別がある。

 たいていの場合、質問権を持つのは記者クラブに所属する記者。そして質問権や写真撮影、動画撮影を制限されているのが記者クラブに所属しない記者である。この身分制度は極めて強固なもので、長らく変わることがなかった。そして驚くべきことに、かつてはオブザーバーには「記者会見の録音」すら認められていなかった時代もある。これでは何のために記者会見に参加しているのかわからない。

 たとえば首相官邸で開かれる総理大臣の記者会見。この記者会見に参加できる記者は、戦後65年間、一貫して記者クラブに所属する記者に限定されてきた。私のようなフリーランスの記者、雑誌の記者、インターネットメディアなどの記者は“公の場”に同席することができなかった。いわば不可触民のように差別されてきた。

 なにより驚くのは、差別を行ってきた犯人の正体だ。

 差別を行ってきたのは、ジャーナリズムからの追及を恐れる官僚や政治家などの権力者だけではない。普段は「社会の木鐸」「国民のための権力監視」と声高に叫びながら、権力側からさまざまな便宜供与を受けている記者クラブだった。

 彼らは「権力を監視する同志」であるはずのフリーランスの記者たちを、公的な記者会見の場から排除し続けてきた。

 それだけならまだ罪は軽い。彼らは「差別の実態」を報じないことで問題を秘匿し、自らの既得権益を温存することに腐心してきた。つまり記者クラブは「独占的に報じる権利」とともに、「存在することを報じない権力」をずっと行使してきたのである。そのため日本では、報道機関による差別が秘密裏に行われてきたのだった。

 
最初の風穴は「アリバイ工作」だった

 

 この状態に風穴を開けたのは、2009年8月30日に行われた第45回衆議院議員総選挙の結果だった。この時の総選挙では、歴史的な政権交代が起きた。そして民主党を中心とする鳩山由紀夫内閣が発足した同年9月16日、これまで閉じられてきた総理大臣記者会見の扉が、アリバイ工作的に少しだけ広がったのだ。

 この時、従来の記者クラブメディアに追加される形で新たに参加できたのは、外国報道機関や日本専門新聞協会に所属する記者15人、そして日本雑誌協会加盟社に所属する記者5人。これを記者クラブメディアは翌日の新聞で「官邸での記者会見がオープンになった」と報じた。しかもオープンにした主体は首相官邸の記者クラブである「内閣記者会」と書かれていた。

 しかし、この報道には内閣記者会によるバイアスがかかっている。この日の就任会見に参加できたのは、以前から国会記者記章を持っていた“準記者クラブ員”のような限られた記者だけだったのだ。

 これを「オープン化」と呼ぶのは大いに問題がある。なぜならこの就任会見の場には、民主党が野党時代からオープンにしていた記者会見の場で、再三「オープン化」の言質(げんち)を取ってきたフリージャーナリストの上杉隆氏、インターネット放送局「ビデオニュース・ドットコム」の神保哲生氏らをはじめとする「記者クラブに所属しない記者」が全く排除されていたからだ。

 上杉氏や神保氏ら8名のフリージャーナリストは、9月16日の就任会見の直前、首相官邸前に集まっていた。しかし、ついに彼らは首相官邸の中に入ることはできなかった。文字通り「門前払い」されたのだ。

 
政権交代前の“約束”を反故(ほご)にした鳩山首相

 

 私は2009年9月16日の会見を、あえて「えせオープン会見」と呼んでいる。なぜそんな厳しい言葉を使うかといえば、鳩山由紀夫首相が明らかに「嘘」をついたからだ。

 民主党は2002年以来、記者会見の場を従来の記者クラブ加盟社以外の記者にも開放してきた。記者会見には誰もが自由に参加し、質問も撮影もすることができた。そのためフリーランスの記者も数多く出席していた。

 政権交代が現実味を帯びてきた2009年3月24日の記者会見。フリージャーナリストの上杉隆氏は、当時代表だった小沢一郎氏に「政府記者会見のオープン化」についての質問をした。すると新進党時代から記者会見をオープンにしてきた小沢一郎氏は、当然のことであるかのように「記者会見のオープン化」をはっきりと約束した。

 また、同年5月16日には、小沢氏に代わって新代表に就任した鳩山由紀夫代表の就任記者会見の場で、同じく上杉隆氏が同様の質問をした。その際の鳩山代表の答えは次の通りである。
「私が政権を取って官邸に入った場合、上杉さんにもオープンでございますので、どうぞお入りいただきたい」

 これだけではない。同年7月27日の民主党マニフェスト発表記者会見の場でも、鳩山代表は「政府記者会見のオープン化」を約束している。この時に質問をしたのはビデオニュース・ドットコムの神保哲生氏だ。神保氏が「記者会見開放の方針がマニフェストに入っていない」と指摘すると、鳩山氏は次のように答えたのだ。
「当然なことであって、マニフェストにわざわざ書き入れるまでもないと考えた。民主党政権では記者会見はオープンにする」

 記者会見での発言はオフィシャルなものだ。当然、そこには責任が生じる。そのため私は政権発足直後から、首相官邸をはじめとする全省庁に「記者会見のオープン化」についての問い合わせを続けてきた。オープン化は政権交代前からの民主党の“約束”であると同時に、「国民の知る権利」に資すると思っていたからだ。

 
トップを切ったのは、外務省と金融庁

 

 私が本格的に各省庁に問い合わせを始めた9月18日。外務省は岡田克也大臣が同日夕刻に開かれる記者会見で「オープン化」を明言する予定だったため、「記者クラブに加盟していない記者の方も参加できます」との回答を寄せた。

 金融庁は9月末、亀井静香大臣が記者会見のオープン化に抵抗する記者クラブに対し、
「(記者クラブは)頭が古いので自分でやることにしました」

 と発言。記者会見室で開かれる従来の記者クラブ向けの会見とは別に、フリーや雑誌、ネットメディアの記者に向けた「もう一つの記者会見」を大臣室で開き始めた。

 その後、こうした動きに続くように、法務省、総務省、環境省、行政刷新会議など、一部の省庁では記者会見のオープン化が進んでいった。

 しかし、こうしたニュースは記者クラブの構成メンバーである新聞・テレビなどの大メディアがほとんど報じなかったため、世間一般に広く知られるまでには至らなかった。新聞はここにいたっても「記者クラブ問題」を報じることから逃げたのである。

 そして政府会見のオープン化を約束した張本人、鳩山首相のいる首相官邸も長らく記者クラブ問題から逃げていた。

 私は政権発足から半年間、何度も「官邸での記者会見はまだオープンにならないのか」と問い合わせたが、答えはずっと「NO」のままだった。

 その間、私は首相官邸の門前に行き、「政権交代前の約束通り、記者会見に入れてください」とたった一人で頼んでみたりもした。その時には、驚くほどあっさりと断られた。結局、鳩山首相が記者会見を一部のフリーランスの記者に「セミオープン化」するまでには、政権交代から約半年、2010年3月26日まで待たなければならなかった。

 
世界の常識「フリープレス」の原則

 

 自分で自分のことを書くのは恥ずかしいが、ここで私の「記者」としての経歴を振り返ってみたい。

 私は大学2年、20歳の時に本格的にライターの道を志した。ライター業に没頭するうちにいつの間にか大学生ではなくなり(除籍)、さまざまな雑誌に原稿を書くことで生計を立ててきた。

 雑誌記者だけに、扱うテーマはさまざまだった。子育て、教育、社会問題、殺人事件、エッチなテーマや芸能、スポーツ、科学技術、戒名、お墓……。文字通り、“ゆりかごから墓場まで”幅広いテーマで取材をしてきた。

 この道17年。その間、海外での取材も経験した。アメリカ、ロシア、台湾、ドイツ、そして独裁国家と言われたフセイン政権下のイラクでも「記者」として取材を重ねてきた。それなのに日本ではいまだに参加できない「記者会見」がある。だから私は日本ではいまだに「自称・記者」のままだ。

 私がいくつかの海外取材を通じて感じたのは、海外で行われる記者会見は例外なく「オープン化」されているということだ。

 日本のように「記者クラブ加盟社以外は取材できない」という奇妙な国はない。なぜなら世界のジャーナリズムには「フリープレスの原則」(報道に携わる者は誰もが自由に取材できる)という常識があるからだ。

 私がそのことを強く実感したのは2000年。当時、“女性初の大統領候補”と噂され、ニューヨーク州上院議員選挙に立候補していたヒラリー・クリントン(現国務長官)の選挙を取材した時のことだった。他の記者たちから「お前が同じ“記者”と名乗るのは許せない」と怒りを買うかもしれないが、興味深いエピソードなので紹介したい。

 
「日本から来ました。私は記者です」

 

 私がヒラリー・クリントンの選挙集会会場の報道受付で名刺を差し出すと、受付の男性が私を金属探知器の前へと案内した。会場内の安全を確保するため、参加者は一人ひとり金属探知器を通ってカバンの中身をチェックされるのだ。

 その時、私のカバンの中には“危険物”が入っていた。手榴弾などの爆発物ではない。その日の昼間、日本へのお土産用に買っておいた、シリコン製のマスクとTシャツである。

 特にマスクが危険だった。マスクのモデルは、当時、セックス・スキャンダルで評判を落としまくっていたビル・クリントン大統領。言うまでもなくヒラリー・クリントンの“現職の”夫だ。そしてTシャツには葉巻をくわえたビル・クリントンが、スキャンダルの相手であるモニカ・ルインスキと2ショットで微笑むコラージュ写真がプリントされていた(葉巻が意図する皮肉は、わかりますよね?)。
「ホテルに置いてくればよかったかな……」

 金属探知器を無事に通り過ぎた私が少し後悔しながらカバンを開けると、警備にあたるシークレット・サービスの男性がマスクとTシャツを見つけ、眼光鋭くこう言った。
「ヘイ、ユー。これは何だ?」

 私の葉巻はシガレットくらいに縮み上がった。彼の腰には拳銃がぶら下がっている。
「あの〜、ビル・クリントン大統領のマスクです」

 私が(つたな)い英語をなんとか絞り出すと、彼は重ねて強い口調で聞いてきた。
「こんなもの、どうするつもりだ?」

 すでに私のシガレットは、噛みタバコレベルにまで縮んでいる。
「に、日本へのお土産です。ひょっとして、持ってきたらマズかった?」

 彼の表情が少し穏やかになる。
「爆弾や刃物などの危険物ではないから、持って入るのは自由だ」

 少しだけホッとした私は、思わずこうつぶやいていた。
「そうですか。でも、もし私が会場でこのマスクを被ったら、ヒラリーがこっちを向いたカメラ目線の写真がバッチリ撮れるよね(笑)」
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