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プロ野球「背番号」雑学読本 なぜエースナンバーは「18」なのか
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雑学
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なぜ3は看板選手がつけるのか

『プロ野球「背番号」雑学読本 なぜエースナンバーは「18」なのか』
[著]手束仁 [発行]イースト・プレス


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 背番号が野球選手のイメージとともに確立していったのは、誰がなんといっても巨人の長嶋茂雄が背番号「3」をつけて登場して活躍したことが大きいだろう。


 当時は絶大な人気を誇っていた東京六大学野球の立教大から1958年(昭和33年)に巨人入りした長嶋は、56年に現役を引退してコーチを務めていた千葉茂から譲り受けるような形で「3」をつけるようになった。


 当初、これほどまでに「3」という番号がシンボライズされていくなどとは、あまり考えられていなかったろう。しかし、プロ野球の人気が高まっていくなかで、当時の主要メディアであったスポーツ新聞などでも写真で映し出される「3」がクローズアップされていき、長嶋が「3」とともに、よりスターとして輝いていくイメージをつくっていった。

「四番サード、ナガシマ。背番号3」


 カクテル光線で照らされる後楽園球場に響いた場内アナウンスも、そんなヒーロー像をつくりあげていく演出になっていった。そして、そのアナウンスを待っていたかのように球場内が拍手と歓声で包まれる。


 こうしてヒーロー長嶋は背番号「3」とともにより輝いていった。当時は少年漫画誌などでも“背番号3物語”などが紹介されていくことで、野球好きの子どもたちにとって「3」はラッキーナンバーであるとともに憧れの番号にもなっていった。


 勢い「3」は各チームで主力選手や看板選手がつける背番号になっていった。


 もっとも「3」そのものは長嶋が巨人に入団する以前から青バットで一世を(ふう)()した大下弘(セネタース・東急・急映・東急=現日本ハム→西鉄=現西武)や(えの)(もと)喜八(毎日・大毎・東京・ロッテ→西鉄)などがつけていた。しかし、その後は長嶋の活躍とともにさらに「3」の看板選手としてのイメージが強くなっていった。


 ちなみに長嶋が活躍していた時代の主な「3」の選手としては、榎本のほかには中日の中利夫(三夫、(あき)())、阪急(現オリックス)でMVP2回、本塁打王と打点王を各3回ずつ獲得している長池徳二((あつ)())がいる。また、近鉄(オリックスに合併)→太平洋クラブ・クラウンライター・西武と当時は決して強いチームではないなかでパ・リーグのスラッガーとしてオールスターに15回出場を果たしている土井正博も「51」から「3」に変更してチームの顔となっていた。


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