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誰も知らなかったビートルズとストーンズ
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エンタメ
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偶然か必然か

『誰も知らなかったビートルズとストーンズ』
[著]中山康樹 [発行]_双葉社


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 デッカ・レコードのオーディションの4か月後(62年5月9日)、ブライアン・エプスタインは、EMI傘下のパーロフォン・レーベルを担当していたプロデューサー、ジョージ・マーティンと出会う。パーロフォンは低予算の弱小レーベルであり、ジョージ・マーティンはポップスや流行の音楽ではなく、とくにコメディのレコードを多く制作していた。エプスタインはジョージ・マーティンに、デッカのオーディションで演奏した曲が収録されたラッカー盤を聴かせた。そのラッカー盤には、ビートルズのオリジナル3曲(第1章参照)と《ベサメ・ムーチョ》等、有名な曲が抜粋して収録されていたものと思われる。



 とくにいいとは思わなかった。曲もたいしたことはなかった。しかし何かピンとくるものがあったんだ。それで、こんなものを聴いてもしようがない、直接彼らに会いたいから、スタジオに連れてきてくれと言った。(ジョージ・マーティン)



 のちのマーティンの言葉を借りれば、「失うものは何もなかった」ということになるが、ほとんどすべてのレコード会社から断られつづけていたエプスタインにとって、その日のマーティンの言葉は「契約成立」と同じ意味をもっていたのだろう。



 レコード契約に関しては、ブライアン・エプスタインに任せていたんだ。彼がリヴァプールへ帰ってきて、「今回もダメだった」と言うのを何度聞いたことか。ぼくらはいつもライム・ストリート駅か「パンチ&ジュディ」という近くのコーヒー・バーで、彼の列車が着くのを何時間も待ったものさ。あのときもそう。ただし今度は朗報だった。ジョージ・マーティンが「考えてみよう、まあやってみるか」と言ってくれたってね! (ポール・マッカートニー)



 まさしくジョージ・マーティンには失うものが何もなく、リヴァプールのグループの演奏を聴くことは、お安いご用だった。先のマーティンの発言にある「何かピンとくるものがあった」という一節が仮に事実に反するものだったとしても、低予算の弱小レーベルのプロデューサーには、おそらく時間だけはたっぷりあった。



 EMIでのジョージ・マーティンは、あまり知られていないアーティストをプロデュースすることで有名だった。ビッグなアーティストは、他のプロデューサーが受けもっていた。ジョージが押しつけられるのは“切れっ端”で、ぼくらがその“切れっ端”だったわけだ。(ポール・マッカートニー)


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