『俺のトーキョー!FC東京ラブストーリー』
[著]植田朝日
[発行]イースト・プレス
インターナショナルスタンダードを目指して
JFLラストイヤー、そして東京ガスとしても最後のシーズンを、タイトル獲得で締めくくった東京。J2では装いも新たに「FC東京」の名前で再スタートすることになった。
この「FC東京」って名前には大満足だったよ。だって、尖ってるから。
いまでこそ「FC~」とか「~FC」ていう名前はけっこうあるけど、FC東京の以前に、ニックネームもなく、フットボールクラブを意味する「FC」を名前に入れたクラブはなかったからね。あの頃のJリーグは「都市名+ニックネーム」か「ニックネーム+都市名」って決まってたんだよね。そんな中、ニックネームを使わずに「FC+都市名」で「FC東京」だよ。当時は本当に激アツだったんだから。
なんで俺たちが「FC東京」が気に入ったかっていうと、Jリーグが嫌いだったから(笑)。
矛盾してるよね。Jリーグを目指して戦ってきて、やっと加盟できるっていう状況なのに、嫌いって。正確に言うと「日本のトップディビジョンのリーグで戦いたい」って気持ちはあったけど、「Jリーグはカッコ悪い」とも強く感じてたんだよ。
そもそも俺たちは、東京を応援する前から本当にサッカーが好きだった。それで地元で活動している、JFLの東京ガスを応援しはじめたわけ。クラブよりもJリーグよりも、サッカーが先だったんだよね。だからほかのJリーグのクラブを見ると、サッカーが好きというより、「そのクラブやJリーグが好きなんだろ?」って感じがしちゃったわけ。
それに俺たちは日本代表戦やヨーロッパ、南米のクラブの試合を観るために海外に行くことも多くて、海外のサッカーファンとも交流があった。当時はACL(アジアチャンピオンズリーグ)みたいな大会はなかったけど、アジアクラブ選手権とかアジアカップウィナーズカップとかには憧れたよね。
だから自分のクラブがアジアに出て勝負してるのに、応援にも行かない、盛り上がらないファンはおかしいと思ったし、腹がたったのを覚えてるよ。「行かないんだったら辞退しろ! 代わりに俺たち東京が行くから」みたいなさ。実際、出る必要のない大会にわざわざ出てくわけがないんだけど(笑)。なんにせよ、当時から海外志向が強かったわけ。
そういえば、ベルマーレ平塚がアジアカップウィナーズカップとかアジアスーパーカップで韓国に行ったときには、東京のファンが一緒に応援に行ったんだよね。俺たちのアイドル・関浩二を応援するためにさ。ベルマーレファンより東京ファンの方が多かったこともあった(笑)。たしか蔚山での試合のときかな。
話がずれちゃったけど、ようするに「Jリーグスタンダード」が嫌で、「インターナショナルスタンダード」なクラブにしたいって思いが強かったんだと思う。だから、世界水準で見たときに、変なニックネームもマスコットも嫌っていうのがあった。ニックネームとかマスコットがあるのって、Jリーグ、韓国のKリーグ、アメリカのMLS(メジャーリーグサッカー)くらいでしょ。その3か国って、どこもサッカーの世界じゃトップじゃないし、野球がさかんな国。ニックネームもマスコットも「ベースボール文化」なんだよね。だから、抵抗があったんだと思う。最近ではヨーロッパでもマーチャンダイズのためにマスコットを作るクラブが増えてきたけど、あの頃はなかったからね。
とは言いつつも「ファイティングバード」はJ昇格とともに復活してほしかったな。JFL時代はマスコットがあると「Jリーグスタンダード」っぽいから、いらないと思ってた。でも、Jのクラブになったときに復活したら、それはそれで面白かったと思うんだよね。
Jリーグはおかしな名前だらけ
ニックネームの話に戻ると、東京がJに加入するまでは、カッコいいと思うニックネームのクラブがなかったわけよ。