1
三十五歳の真奈さんが私にメールをしてきたのは、きっと、私ならば驚かずに話を聞いてくれると思ったからなのだろう。
メールにはタイトルからしてこう書かれていた。
『好きな人ができたの』
一瞬、目を疑った。
なぜならば、彼女はとても穏やかに結婚生活を送っているように見えたし、それがずっと続くだろうとも思っていたから。
同い年の、理解あるご主人で、とてもやさしそうだったし、可愛い娘さんも生まれ、幸せそうに見えたのに。一家で夏は海、冬はスキーと、絵に描いたような楽しげな生活をしていたはずなのに。
『お願い、話を聞いてほしいの。他に話せる人もいないの』
そうせがまれて、私は彼女に会った。ホテルのコーヒーラウンジで、彼女は延々と、いかにして自分は恋に落ちたかを語り続けた。それはまるで、初恋をした女子高生であるかのように、頬を染め、それはそれは嬉しそうに。
その彼とは、ボランティアサークルで知り合ったのだという。
よくある話といえばよくある話だ。カルチャースクールやサークルなどには、同じ趣味や思想を持つ人がいるわけだから、話も弾むし、親しくなるのに時間がかからないのだろう。それに確かご主人だって、ボランティアがきっかけで知り合ったと言っていなかっただろうか。
「初めて会った時に、すごく懐かしいものを感じて、胸がジーンとしたの。どうしてかと思ったら、父親に、そっくりだったのよ」
彼女は三つ上の男性に惚れ込んでいた。もうすぐ四十に手が届こうかというその歳は、彼女の父親が亡くなった年齢と近い。会社員だった彼女の父親は、四十代で心筋こうそくに倒れ、帰らぬ人になってしまった。彼女が中学生の時である。
「私ね、ファザコンなの。今でも父が大好きで、どうして死んじゃったんだろうって思い出すたびに、涙が出てきてしまう」
彼女の瞳はすでに潤んでいた。多感な中学生の時に、家族を亡くしたのだから、その喪失感はかなり大きかっただろうと推測できる。
たいていの四人家族がそうなりがちなのだけれど、一家は二つのグループに割れていたのだという。彼女の母親と彼女の兄の結束が固く、彼女と父親が仲良しだったのだ。だから「私を置いてお父さんはいなくなった」という淋しい思いが強く感じられる。父を失うということに打撃を受けるのはこのパターンだ。
実家に自分のいる場所がない時、人間というのは、どこかに自分の居場所を作ろうとする。それは、わかる。だって私も、実家には居場所がなかった。私なんて彼女よりももっとつらくて、両親がこぞって妹を可愛がり、私だけがひとりぼっちだったのだから。なんとかして、この『家』というめんどくさいカタマリから逃れたかった。そのためにはやはり、お金が必要だった。自立するための資金、ひとりで暮らしていけるほどの稼ぎ……。女子高生だった私の頭は、そのことでいっぱいだった。一刻も早く家出をしたかったし、一刻も早く東京に逃げたかった。
だから高校は普通科ではなく商業科を選んだ。
頭の中はどうにか自活していくこと、でいっぱいだった。だから積極的に資格も取った。
いま振り返ると、花の女子高生が資格取得に燃えているなんて、なんともせつないし涙ぐましい。でも何もないまま上京したらフーゾクに行く可能性が高くなる。不特定多数と性的に関係するのは、病気がコワイのと、自分が決してナンバーワンになれるような美貌ではないことで、二の足を踏んでいた。モテモテの美人だったら、手っ取り早く、フーゾクを選んでいたかもしれない。でも結構心配性だから、コンドーム完全着用のところじゃないと、働かなかっただろうとは思う。
やや清潔好きとルックスへの自信のなさが、私を資格取得に燃えさせた。だから、高校生のくせに日商簿記二級や日商ワープロ検定二級を取った。けっこう頑張ったと自分でも思っている。
とにかく一生食べていくのに困らないほどの手に職をつけて、家を飛び出しても二度と戻ってこなくても大丈夫なくらいになりたい。その一念で私は猛勉強したのだった。
真奈さんも私と同じように、父親がいなくなった実家から逃れようとして、やはり手に職をつけようとした。人間って似たような行動をとるものなのだ。もしかすると私と真奈さんは、実家への喪失感がとても近いからこそ、親しくなったのかもしれない。