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ひろかさんに離婚をカミングアウトされたのは、デパ地下でランチをしようとしていた時だった。
デリで選んだおかずを盛ったプレートランチを持って歩き、あの奥の席にしよっか、と私が彼女を振り向いた時、それを告げられたのだった。
「私ね、離婚したんだ、三カ月くらい前に」
あんまりいきなりだから、びっくりして、声も出なかった。
だって、私は、彼女が“結婚していた”ことすら、知らなかったから……。
「ごめんね。黙ってたけど、人妻だったんだ。でももう、離婚しちゃったけどね。だから、みかさんとは、バツイチ仲間になっちゃった」
誰にも言うつもりはなかったんだけど、みかさんにはなんか、聞いてもらいたくて、とひろかさんは自信なさげな弱々しい声で言った。普段の明るい彼女とは全然違う表情だった。瞳の中には離婚したての人間特有の、強い不安感があった。
「自分はダメ人間かな? 離婚なんかしちゃって、もう普通に幸せにはなれないかな?」
という強烈な不安を、離婚当初のうちは、どうしても抱いてしまう。道を歩く幸せそうなカップルを見ると、自分は二度とそんな安らぎに巡り合えないのでは、巡り合ってもまた別れてしまうのでは、という心配で、素直に幸福の到来を望めなくなってきてしまうのだ。
それでわかった。どうして今日、彼女が私に「ひさしぶりにランチでもしようよ」と誘ってきたかということが。離婚直後で、精神的に不安定になり、私を頼ってきたのだろう。
私のところには、毎週のように、誰かからの相談が舞い込んでくる。
離婚だけではない、官能小説や恋愛小説を書いているせいで、セックスや恋のハウツーまで、問いかけられることは、幅広い。もちろんなかなかお返事は出せない。日々の仕事や育児に忙殺されているので、時間に余裕がないからだ。
若い頃、アルバイトで占い師をしていたことがあり、何百人も鑑定していたので、何か、人が相談しやすい雰囲気でも備わってしまったのだろうか、と最初は思っていた。人に知られたくない秘密を言いやすいくらい、私は口が固く見えるのかもしれない、と。でも、どうも違うらしかった。
どの人も、結局、話の終わり頃になると、
「この話、書いてもいいからね」
と言ってくれるのだ。どうも作家であるからこそ私にしゃべりに来るらしい。
女性たちにとって、恋愛というのは、一大事だ。
そして永遠の秘密にしなくてはならないことも、多い。
しかしそれは、彼女たちにとってみれば一生に何度もないような、超ドラマティックな出来事で、だからなんとかしてその記憶を残しておきたいのかもしれない。それは、愛する男ができたらその男の子を宿したいと思うのに近い感情のように思った。少子化社会の現代では日本人女性が生涯産み落とす子の数は、多くて三人という考えが一般的だ。でもセックスを何度もした男には、情も湧くし、この男の子どもを産んでおきたかった、と深層意識の中で望んでしまっているのかもしれない。
ぶっちゃけ私だって、いろんな事情が許すのなら、あの男の子どももこの男の子どもも産んでみたかった、という気持ちをいまだに持っている。あの男の子どもだったら、きっといたずらっこで手がかかっただろうな、でもものすごく可愛かっただろうなとか、あの男の子どもだったら、きっとものすごく才能があるだろうな、とか。
私たち女はきっと“産むことができなかった子どもたち”というのを心の中に何人か秘めているものなのかもしれない。そして知らず知らずのうちにその子たちに愛情を抱いているのかもしれない。
赤ん坊の代わりに、この愛の記録を、何らかの形で残しておきたい……。
その衝動が、女性たちを「打ち明け話」へと走らせるのかもしれない。作家の私にしゃべれば、もしかしたら小説になるかもしれない。そうしたらその小説がこの世に「生まれた」ことで、かなり深い満足感を得られるのかもしれない。
実際私のところには「ネタ」の売り込みも多い。
全く見ず知らずの人が「私の人生はスゴいから、ぜひ小説にしてください!」と何度メールをしてきたことだろう。なかには「私は夫がいるのに、三人の男と同時進行不倫中なんです。詳しいことはメールでは長くなって書けないから一度会ってください!」とアポを取ろうとしてくる人が何人もいる。
正直に書けば、そういった売り込みメールに反応したことは、一度もない。
経験人数や、していることがスゴいからといって、小説になるわけではないのだけれど、いまいちそのへんはわかってはもらえない。小説はギネスブックではない、千人斬りの女性が出たとして、その人を超えたかったら、ただ単に千一人斬りを目指せばいいだけで、きりがない。不倫した人数はたったひとりでもいいので、そのドラマが素晴らしかったら、それで充分に小説になるのだから。
で、ひろかさんの場合は、友達だったせいもあるけれど、こうしてネタにさせていただいている。それはなぜかというといくつかあるけれど、彼女のことを今まで独身だと思っていたので、どういう結婚生活を送っていたんだろうと興味があったからだ。
彼女はエアロビクスのインストラクターということもあって、いつも着ている服が派手だったし、露出度も高く、およそ人妻らしくはなかった。ヘソ出しTシャツの上に、カラフルなフェイクファーを羽織って「ハーイ!」と笑顔で現れるような、そんな人だった。目鼻だちがはっきりしている美人で、日焼けしていて髪は黒くてつややかで、エキゾティックな感じだった。エジプト人とのクォーターと言われても、信じてしまいそうな外見だった。