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独身女性の性交哲学
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§ 「愛される」より「愛する」

『独身女性の性交哲学』
[著]山口みずか [発行]二見書房


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 恋愛って言っても、それは性欲であったり独占欲であったり、さらには自己愛というような場合が多い。人を好きになる気持ちが、自分のモノにしたいという「欲」である場合、「愛」とは違うと思うのだ。

 セックスや結婚に金が絡むのも、みんな「欲」に基づいているからじゃないだろうか。

 私が思う愛は、『〈からだ〉の声を聞きなさい』(リズ・ブルボー、ハート出版)からの受け売りですが、こんな感じ。
愛とは、他者に、すべての〈空間〉と、すべての〈自由〉を与えることです。また、自分自身に、すべての〈空間〉と〈自由〉を与えることです。愛とは、他者がやりたいと思っていることを、尊重し、受け容れることです。愛とは、他者の願望と意見を――たとえあなたがそれらに同意しなくても、あるいはそれらを理解できなくても――尊重し、受け容れることです。愛とは、また、いっさいの期待をせずに、与え、導くことです。(同書、49頁)


 ちょっと宗教っぽいかもしれない。けど、そもそも西欧から輸入された愛の概念って宗教的だったじゃないか。

 本来の愛って、あくまで精神的なものだということだ。

 本田透氏もまた『電波男』で、しきりに愛を求めてる。彼の求める愛というのも、おそらくひたすら自分を受け容れてくれることなのだろう。「そんな女いねえって」って2次元に旅立ってしまったけれど。

 そうなのだ。

 完全に受け容れてくれることを求めても、得られるわけがないのだ。

 そう言うと、それこそ「愛のかけらもない冷酷な言葉」だと本田氏はキレてしまうけど。口先だけの慰めを言うのは、愛がある態度ではないでしょう。

 他人が自分を完全に受け容れてくれることを望むのは、愛されたいという欲求だ。

 もちろん、誰だって愛されたい。

 けど、本来、愛は「愛される」ではなくて、「愛する」という能動形なんじゃないだろうか。そこはみんな勘違いしているところで、どこを見渡しても愛されたい人ばかり。見返りを期待せずに愛することはとても難しいのだけど、見返りを要求したとたんに愛は欲に変わってしまう

 恋愛の起源として、カタリ派の吟遊詩人の貴婦人への思慕というのがあったが、あれは今で言うところの「萌え」ではないかと本田氏が指摘している。そう、「萌え」というか一方的な思慕の気持ちは、純粋な愛に近いかもしれない。ただし、勝手な思い込みや理想化を生身の人間に押しつけるのは明らかに違う。

 愛とは相手の行動や考え方に自分が同意できなくても受け容れることだ。

 受け容れるとは、我慢することではない。

 例えば、彼の喫煙をやめさせたいとする。「どんどん値上がりするし健康にも悪いし、やめてって言おう。これは彼のためだわ、だって愛している人の健康を願わないわけないじゃない」というのと、「タバコを吸われるのはイヤだけど、彼がやりたいことを止める権利は私にはないし、愛してるからそれもひっくるめて彼だと受け容れよう」というのと。

 これはどっちが愛でしょう。

 彼のためといって自分の希望を押しつける前者にも問題がある。かといって、ホントは嫌なことを我慢することで自分を押さえつけるのもどうか。

 同意できないことを訴えつつ、タバコを吸うことを責めないという高度なトークが必要になってくる。タバコで健康を害することが本当に心配でも、彼の身体は彼のものなので強制はできない。

 私のためを思ってこうしてと言うのは、傲慢ではないか。

 それは、相手を思い通りにコントロールしたいだけ。

 だからといって、タバコを吸う彼を見ていて自分が不快なら、ただ我慢するのは自分に対して愛がない。せめて私の前ではやめてというようなアピールはしてもいいだろう。不満を受け容れてくれる器が彼にあるかどうかはまた別の話だ。

 大抵の場合、自分さえ我慢すればいいと思っている女は、優しいわけじゃなくて気弱なだけ。拒絶されるのが恐いんだ。

 ハイ、私もそんな女でした。だからこそ、声を大にして言います。
自己犠牲は愛じゃない!

 愛とは、愛されることよりも、愛する能力の問題だ。愛するということは、惜しみなく与えること。でも、自分が犠牲になって消耗していくのとは違う。

 今から50年も前の世界的ベストセラー、『愛するということ(新訳版)』(エーリッヒ・フロム、鈴木品訳、紀伊國屋書店)を読むと、より愛の概念が理解できる。
愛の能動的な性格を、わかりやすい言い方で表現すれば、愛は何よりも与えることであり、もらうことではない、と言うことができよう。(同書、43頁)


 与えるとはどういうことか。それが、人によって違った解釈をされがちな点だ。なにかをあきらめ、犠牲にすることが人に与えることだという人、見返りがあるときだけ与え、それがなければ騙されたという人。犠牲を払うからこそ、その苦痛を受け容れるのが美徳だという人。
生産的な性格の人にとっては、与えることはまったくちがった意味をもつ。与えることは、自分のもてる力のもっとも高度な表現なのである。与えるというまさにその行為を通じて、私は自分の力、富、権力を実感する。(略)与えることはもらうよりも喜ばしい。それは剥ぎ取られるからではなく、与えるという行為が自分の生命力の表現だからである。(同書、44頁)


 こう解釈できれば、自己犠牲ではなく、愛を持って人に施せるだろう。そのためには、自分がより大きな器を持っていないとならない。まさに、愛には、愛する能力の鍛錬が必要なのだ。

 喫煙を引き合いに出すのは、相手のためを思ってという正当化が成り立つので難易度が高いが、例えば、オタ趣味をやめてほしいという「電車男」的男性改造計画は、相手が望んでもないことの押しつけだからとんでもない。「あなたのためを思って」という押しつけは、一見善意のようだが相手をコントロールしようとする傲慢でしかない。

 だからといって、興味もないのに、無理していっしょにコスプレする必要もないだろう。

 趣味も、食事の好みも、生活習慣も、全部同じ人間がいるわけがない。一般的には、自分と価値観が合う人を求める傾向があるようだけど、どこまで違いを許せるか、受け容れられるかが、器の大きさだと思いませんか?

 恋愛って何かを共有することでもあるけど、お互いの個人空間を侵さないというのも大事なのではなかろうか。
「萌え」で済むことなら自己完結できるが、相手とコミュニケーションを取るとなるとかようにめんどくさいのだ。そりゃあ、2次元相手ならなにも言われないだろう。

 ところでアイドルのおっかけのような「萌え」道を突き進む人たちは、なぜか自分の身なりには頓着しない。アキバ系ファッションのアイドルオタ男性に限らず、女性でもそうなのだから不思議だ。あるショーパブに行ったとき、ショーダンサー(外人)に群がるファンの女性たちが、一様にどこか古臭いファッションで、精一杯のおしゃれも的を外している感じなのに驚かされたことがある。同じく、普段見かけないような巨漢の女の子がホストクラブに通っているケースもままある。

 ファンとして、一方的に思いを寄せるだけなら自分は見られる対象にならなくて済む。憧れの対象を、観察する立場でいられるわけだ。
相手を一方的に眺めていたい、観察したいという人が、おたくには多いですから。むしろおたくは、見つめ返しに弱い。観察対象から見つめ返されたら、たじたじとなってしまう。人間の基本的な関係は、本来まなざしの交換から生まれるものだったわけですが、それがどんどん一方通行になっている傾向があります。「萌え」にしても、対象を一方的に愛でる視線ですからね。(斎藤環・酒井順子『「性愛」格差論』中公新書ラクレ、103頁)


 この斎藤環氏の発言どおり、一方通行のコミュニケーションで満足する男女は増えているかもしれない。

 相手からの見つめ返しは、自分の心の中を覗かれるようで不安になる。ソープのお客様でも、ちっともこちらの顔を見ない、目を合わせられない男性はかなりいるし、逆に私自身も、調子の上がらないときなど、相手の目が見られなくなる。言葉を交わす以上に、まなざしの交換は大事なコミュニケーションだと思う。
「萌え」にしろ、おっかけにしろ、誰かを信奉するのは、自分磨きをして着飾って、自分に視線を引き寄せ、男に選ばれようとする恋愛資本主義の女とはまた別のあり方だ。これなら、お客という立場で安心して恋愛気分に浸っていられる。消費者には違いないのだけど、「買われる」んじゃなくて、こちらは「買う」ほうの立場ってわけだ。

 自分だけに笑いかけてくれるアイドルは、実は誰にでも同じ態度の愛と美の象徴でしかない

 それなのに、いつかは運命の人とめぐりあって素敵な恋をするのだわ、なんて幻想を持つのはいかがなものか。崇拝する相手が、同じく自分を見てくれるに値するのかというと、立場が違いすぎるじゃないか。そこにあるコミュニケーションは、一方向性で、身勝手にすらなってしまう。下手するとストーカーだ。

 女のほうが現実的なので、理想は理想、現実の相手は別というふうに割り切って、王子様を別枠に祀って平気でいられるけど、それができない、妥協できない女が、晩婚、未婚化してるのかもしれない。

 みんな愛されたいばっかりに、自分の身の丈というものがわからなくなっているのだ。愛されてこそ自分に価値がある、愛されない自分は無価値というわけではない。

 愛する能力こそ必要なんじゃないの。

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