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(2021/11/26 追記)

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真贋のカチマケ 鑑定士の仕事
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ルポ・エッセイ
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第一章 鑑定は一瞬、修業は一生

『真贋のカチマケ 鑑定士の仕事』
[著]中島誠之助 [発行]二見書房


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(にせ)(もの)というのは、どうしようもなく「腹に入らない」


 素人の方に会ってまず最初に聞かれることは、

「どうしたら本物と(にせ)(もの)が判別できるのでしょうか」


 ということです。講演会であろうと道で会ったときであろうと、これがほとんどの方の素朴な質問なのです。なるほど、気持ちはわかります。当然すぎるほど当然のことでしょう。が、しかし、これがなかなかむずかしい。いや、判別するのがむずかしいというのではありません。どう説明したらいいのかが非常にむずかしいものなのです。


 一応、説明はしたいのですが、それじゃ、たとえばルーペなんぞのさまざまな鑑定道具を使いますとか、分厚い辞書をひきながら調べます、なんてことかといいますと、決してそういうことではありません。一言で申しあげるとすれば、

「物を見たら瞬間的にわかってしまう」


 ということなのです。非常に唐突な飛躍しすぎた話であって、説明にも何にもなっていないのは百も承知なのですが、もう、そうとしかいいようがないのです。

「瞬間的にわかってしまう」


 これなのです。またそうでなければ、鑑定士、()()きなんぞの仕事はやっていられません。


 たとえば、こういう話をしてみましょう。ある人が中国の(みん)時代の(こう)()が手元にあるということで、ぜひとも私に見てもらいたいと電話をよこした。私もなんだかんだと忙しい身なもので、そういう話を全部承っておりましたら、体がいくつあっても足りません。もちろん、皆さんが肌身離さず、あるいは先祖代々大事に受け継いでこられたものですから、ひとつひとつ見てさしあげたいのはやまやまなのですが、それは何とぞご勘弁。さて、その電話にどう答えればよいかといえば、

「私の店の前の道まで来たら、その物を道の向こうで高く差し出しなさい。それを見た私が手招きをしたら道を渡って来てください。手招きしなかったら贋物ですからお帰りください」


 というわけです。要は、そのくらい離れていたって瞬間的にその物がわかってしまうということなのです。それこそ、1/5秒。いや1/10秒でもいいくらい。


 私たちのように古美術を売り買いしている場合は、これはもう命がけですから、瞬間的に判断しなければいけないわけです。そして、自分がどう判断したかを決して人にいう必要はない。自分ひとりで納得しておればいいのです。けれども、それはビジネスの話であって、鑑定をひとつのショー、あるいは藝能という形で見せるときには、それではあまりにも無責任な話ですから、そこにある程度のドラマを付け加えるわけですね。説得力と面白さと臭みの(さん)()一体を、あらゆる知識とカンを駆使しながら作りあげていく。けれども、完璧な説明なんぞは(しよ)(せん)無理な話なのです。言葉では如何(いかん)とも説明しがたい何物かがそこにあるわけであって、それこそが鑑定の鍵なのですから。


 贋物というものは、見た瞬間、なんともいえない嫌な感じがするものなのです。そこには、贋物を作って一山儲けてやろうなどという、人間の嫌らしさが(にじ)み出ている。これはもう間違いなく滲み出ている。西洋の物であろうと、日本の物であろうと、朝鮮の物であろうと、中国の物であろうと、ガラスであろうと、陶磁器であろうと、漆器であろうと変わりません。本物とそっくりの形をもって、本物とそっくりの色をもっていてもわかります。これを昔の言葉でいうと「腹に入らない」という一言につきるのです。


物に宿る「霊性」とは何か?


 さて、その判断を与えてくれるものはいったい何かと申しますと、それはその物がもっている「霊性」ということです。なんだ、それは新興宗教か、と御非難もあるかと思いますが、これはもう、そうとしかいいようがありません。物がもつ霊性なのです――。


 品物というものは、基本的に人間が必要としたから作ってきたものです。あるいは藝術的な発想のもとで作ってきたものです。そこには何ひとつ不必要なものはありません。形も色もすべてにわたって道理にかなっているわけです。それに反して現代藝術は、不必要なもの、不合理なものを作っておりますが、昔の人はそんなことはしなかった。日常生活においても宗教的な分野においても、すべて必要としたものの下で、その形と色が作られてきた。


 たとえば、宗教的な物はそれこそ魂を打ちこむように、一文字書いては(かん)(のん)(きよう)を読み、ひとつノミを加えては仏様を拝んで、そうした祈りの行為を行ないながら、全生命をかけながら作りあげてきた。そこには人間の魂がこもっていて、何ひとつ不必要なものはないのです。


 あるいは、平安時代に必要とされた器があるとしましょうか。その器には、その当時、その歴史、その社会が必要としたものが注ぎこまれており、そのときの最大の努力と最高の技術のもとで作られています。それは、ギリシャ時代ならギリシャ時代の、平安時代なら平安時代のそれぞれの時代背景が与えた力の結晶であって、ありとあらゆる時代の要素というものがその物を作りあげたのです。人力と風土、光源と道具。そこに、時代のもっている素直さが滲み出ている。


 だから嘘がない。素直なんです。そういうことが「腹に入る」ということに(つな)がってくるのです。


 霊性というと摩訶不思議なものと受け取られがちですが、まったく道理にかなったことであり、素直な目でその物に対すれば、不必要なものが付いていない純な物は、非常に美しく見えるものなのです。


 しかし、どれほど優れた霊性をもった物であろうと、その物に(たい)()する人間の霊性が曇っていれば、その物の霊性は見えません。一生懸命に仕事に打ちこみ、また学んで、そのくらいの素直さをもって物に対峙したときに、その物のもつ霊性と波長が合うのだと思うのです。


 あれは儲からない、あれはこのくらいで売れるだろうと考えることは、もちろん商売ですから大事な要素ですが、その物に対する人間のなかにそれしかないとすれば、きっとその人間の霊性は曇ってくるのではなかろうか、と思うのです。


 もう少し本物と贋物を見分けるということについて話しますと、たとえば、江戸時代の初期、十七世紀に作られた()()猪口(ちよこ)というものは、このような形をしていて、こういう(ゆう)(やく)で、こういう(こう)(だい)をしています、と私がいったとします。そうすると、それとまったくおなじ形でおなじ釉薬でおなじ高台の贋物が出てきたときに、かならず(だま)されてしまいます。


 他にも、平安時代の仏像というのはこういう手の形をしていて、こういう表情をしています、北魏時代の石仏はアルカイックスマイルをしています、鍋島というのはこういう寸法になっていて、こういうデザインです。すべてに関してこういう具合にいったところで、それが贋物と本物を見分ける手だてにはならないのです。


 それではどうしたらいいかというと、もうそれは自分も霊性を兼ね備え、その物のなかの霊性を感知できるようになるしかないわけです。


「ボロ着て、絹着て、木綿着ず」という()(ぐらい)をもて


 さて、一瞬で物の(しん)(がん)を見分けられるようになるには、いったいどうすればいいのか。誰だって知りたいことですが、これは決して「専門家」になりさえすればわかるというものではありません。その道だけを一生懸命に勉強し、打ちこんで、膨大な知識を得たとしてもダメ。


 たとえば伊万里焼きに精通したいと願う人がいて、その人は一生懸命に伊万里焼きについて勉強をする。あるいは、古写経に詳しくなりたいと思って古写経の勉強ばかりをする。そうすると、確かにその世界ではエキスパートになることはできるでしょう。けれども他の分野においては、まるで目利きができない。


 自分はその専門分野だけの目利きができればいいというのであれば、別にそれはそれでかまわないのですが、プロというのは、そういうわけにはいかないのです。伊万里焼きの真贋も見分けなきゃいけない、古写経の真贋も見分けなきゃいけない。ここにガンダーラの仏像が出てきてもわからなきゃいけない。私は今、中国の焼き物、日本の焼き物、陶磁器を専門にしているわけですが、もしガンダーラの仏像を目の前にしたら、それが贋物か本物かはたちどころにしてわかってしまう。それは実際の物であろうと写真であろうとわかります。


 そのくらいの修業をしなきゃいけないわけです。単に、専門分野の知識をもっていればよろしいという問題ではないのです。


 もうそうなると、先程申しあげたように、やはり広く霊性を高めるということにまでいたらないといけないわけです。そのためには、専門分野の勉強だけではなく、いい音楽を聴く、(うま)いものを食す、美しい光景に見とれる、いい話を聞く、というような自分の生活環境というものを常に高いところで保持する必要があるわけです。


 なにも(ぜい)(たく)をしろなんていいません。たとえ、オカネがなくてパンひときれしか食べられない、うどん一杯しか食べられない、というような生活であっても、自分の感性、生活環境を常にでき得る最高のところにもっていけといっているのです。


 それはどういうことかというと、骨董界に伝わる言葉にある「ボロ着て、絹着て、木綿着ず」ということになるのです。


 カネがないときはボロしか着られないけれども、木綿だけは着るなよ、というのです。オカネがないときは握り飯ひとつですませておけ、余裕のあるときはフランス料理のフルコースを食べなさい、けれども間違っても立ち食い蕎麦は食ってはいけない、と。


 立ち食い蕎麦が悪いというのではなく、庶民性にひたっていてはいけないというんです。乞食になっても貴族になってもいいから、気位だけはしっかりもっていろ、ということ。


 そうやって、常に自分の生活に対してシャンとして背筋を伸ばし、精神を磨いていれば、どんな物が出てきても、その物がもつ霊性がわかるようになるわけです。


「カネの痛み」が目筋を確かなものにする


 私たちプロの目利きは、どんなに知識をもった人であろうと評論家であろうと、アマチュアを相手にして論争することはありません。なぜかと申しますと、彼らは「カネの痛み」を知らないからです。プロがプロとしての目を磨くのは、先程申した霊性が宿るというのとおなじくらいに「カネの痛み」を知っていくことなのです。自分が、ある物を買ってみる。それで損をしたという失敗が自分の本当の目筋を磨いてくれる。カネの痛みは忘れられないからです。


 いくら立派な評論家がその物に対する論評をし、鑑定の(のう)()きをいうとしても、実体験がない人の話を私たちは相手にしません。カネの痛みを知らないから。


 (せつ)()(たく)()して売り買いをして、実体験で自分の目を磨きあげている人は、評論家と違って能書きはいいません。いわないけれども目筋は確か。それは、霊性というものの向こう側に、経済の魅力があるから磨かれる。物の霊性が手前にあって、その後ろに後光のようにカネ勘定が見えてくるから、本当のその物の質が見えてくる。それがプロ。


 しかし、問題はそんなに簡単ではない。プロなら誰でも彼でも目筋がいいかというと、そんなことはありえない。目筋の悪い業者もワンサといるわけです。しかも具合が悪いことに、そうした目筋の悪い業者には、おなじように目筋の悪い客がついている。そして哀しいかな、目筋の悪い客が業者にとっては好都合なわけです。つまり、目筋の悪い客には大金持ちが多いものなのです。


 誤解を恐れずにいいますと、オカネがたくさんある人は、業者からみると非常に(だま)しやすいのです。どういうことかと申しますと、大金持ちというのは、だいたいがケチ。ケチな人には、損をしたくないという気持ちが常にある。その損をしたくないという気持ちをグッとつかんで、目筋の悪い物を「華々しく飾ってあげて」パクリと食べられるようにしてあげれば、すぐにコロリとひっかかってしまうものなのです。いかに優れた品物かと能書きをたれても、本当に目筋のいいものを見せても、そういう人は疑うばかりでダメですが、いかにも凄い物だといわんばかりのお膳立てをしてあげると、見事に騙される。損をしたくないというケチな気持ちが、本物を見分ける力を奪ってしまって、話術と演出にごまかされることになってしまうわけです。


 ところが、目筋のいい人というのは、損はかまわない。なにしろ自分が気に入った物が欲しい。だから騙されない。自分の目、自分の眼力にかなったものを欲しがるからです。運悪く騙されたとしても、それは尊い経験となって、さらに目筋が磨かれて、さらにいいものを買う栄養になっていく。こうした目筋のいい客というのは、当然、目筋のいい業者につきますから、目筋のいい業者というのは客の要望を満たして(けん)(さん)をつみ、商売を越えて取引に応じ、薄利に甘んじ、なかなか経済的にはたいへんなものなのです。


 目筋の悪い大金持ちは、すぐに騙せるけれども、目筋のいい趣味人は騙せない。したがって、目筋のいい業者は経済的には恵まれず、歯をくいしばって優品を探すことになる。しかも、皮肉なことに、目筋の悪い物が千点あるとすれば、目筋のいいものは五点ほどしかありません。目筋の悪い人が一万人いるとすると、目筋のいい人は十人くらいしかいないのです。


 そういう矛盾だらけの骨董界のなかで、じゃあ、目筋の悪い業者が得をして目筋のいい業者が損をするのかというと、これまた決してそんなことはない。オカネというものが、目筋の悪いほうに集まっているとしても、そのなかで目筋のいい業者は、先程お話した「ボロ着て、絹着て、木綿着ず」といったこだわりと自負心をもって生きていくことが必要です。


 そうした姿勢をずっと(ゆる)めずにつづけていくと、どうなるか。富士山のような大きな山になるんです。びくともしない揺るぎない山になる。そうしてはじめて人とカネが集まり、日本の文化を維持し、歴史に残る目利きとなっていくのです。ところが、目筋の悪いほうは、がんばっても所詮、連山の岩峰。高いけれどもゴツゴツして谷間に入ると何がなんだかわからない。


 江戸時代、明治時代、昭和、それぞれの時代に、傑出した目利きが生まれたわけですが、彼らは決して平穏な人生を送ってはいない。若いときに間違った物を買って、それを人知れず涙しながら海のなかに投げこんだりしているわけです。そうやって確かな目筋を磨いて、名を成し、美の発見に務め、家業を磨いてきた。


 目筋の悪い業者というのは、こんな純なことなんぞしやしない。もし大きな失敗作をつかんでも、これをまた目筋の悪い客につかませて、ペロリと舌でも出しときゃいい。しかし、そのときは金銭的な意味では豊かになるけれども、霊性の豊かさなんてちっとも磨けやしません。そんな人間が大成することはない。所詮、連山の岩峰どまりなのです。


 そういうふうに、鑑定というのは、いかにして自分を磨きあげていくかということが大事になってくる。オカネの痛みを知ってはじめて、その目筋に磨きがかかる。かといってオカネだけに執着すると、本当の目筋は磨けない。片方でオカネの痛みを感じながら、もう片方でオカネだけでない純なものに向かって修業する。そうやっていってはじめて、本物の目利きができるのです。そうしたら、1/5秒はおろか、1/20秒でも、物の真贋がわかるのです。


感性のピークは二十代、後はどんどん落ちていく


 人間の感性がいちばん鋭いのは二十代です。二十代から三十代の半ばまで。たとえばノーベル賞をとるような科学者でも文学者でも、優れた業績というのは二十代から三十代前半までのあいだになされることが多い。それとおなじことが美術商にもいえます。若いときにどれだけの感性を磨けたかというのが非常に大きな要素になるのです。


 りんごを見てもりんごにしか見えないような感性、空を見てもただの空にしか見えないような感性では、もうどうしようもない。


 物を見て、そこにある以上の何かを感じ取る()ぎ澄まされた感受性というのは、やはり二十代が最高でしょう。後半生はその残りで食っているといっても過言ではない。もちろん、知識は別。知識はいくつになっても増やすことはできるし、またそうしなければいけないのですが、目筋という感性は二十代から三十代の前半でもってピークを迎えて、後はどんどん落ちつづけていくものなのです。


 それと反比例して大きくなってくるのが何だと思います?


 欲です。哀しいかな、欲なのです。


 若いときは十万円のものを、自分が好きなら百万円でも買ったりできる。けれども、歳をとってくると、百万円のものをどうやって十万円で買おうかということばかりに頭を使うようになってしまうのです。若いときは、百万円損したって屁でもない。そこらへんに寝ころがっていたっていいんですから。ところが、壮年期、老年期になってくると、百万円の損をするということは、経済的にも精神的にも非常に大きなショックを伴います。


 しかも、歳をとるとそれなりに鑑識眼もつきますから、相手の無知につけこんで、百万円のものをいかにして十万円で取りあげてやろうかということに、頭がはじめからまわることになる。鑑識眼というのは、良くも悪くも使えるのであって、それはまるで両刃の剣です。


 では、歳とともに落ちていく目筋というものをカバーするものは何か?


 当たり前ですが、勉強するしかない。勉強すると同時に、いい旦那(だんな)になることです。旦那にならなきゃいけません。六十代、七十代になったときに、いい旦那になれるかどうかで人間のカチマケが決まる。


 若い者の顔を見るたびに、相手の懐に手を突っこんで、あるいは背広のポケットに手を突っこむような感覚でもって、利益を奪い取り、贋物を若い者にはめこむようなことをやっていてはダメなのです。窮鳥(きゆうちよう)が懐に飛びこんできたら温かく迎えてやるような気持ちでいなければ、いい旦那にはなれやしません。経済的にも精神的にも若い者を育ててやらなければいけない。どうしてもオカネがいるから何とか助けてくれませんかと泣きついてきたときに、「困った奴だな。まあ置いていきなさい」といえるぐらいの度量をもたなければいけません。それは目筋というものとは別のものであって、たとえ目筋の悪い人であってもいい旦那でなければいけない。そういうところに大旦那というものの風格が備わってくるものなのです。


 二十代のときにどんなに優れた名品をもっていても、世の中は相手になどしてくれません。若造が何を生意気なってことで終わってしまう。


 けれども、大旦那になればなるほど、一言「買っておきなさい」といっただけで、みんなひれ伏して買ってくれるわけです。そういうふうに、五十代、六十代、七十代と燻銀(いぶしぎん)の風格と輝きをもったときに「買っておきなさい」「いい物だよ」という一言が千金の重みをもつようになるのです。


 そうなるように、自分を磨いていかなければいけない。勉強していかなければいけない。伸びてくる若い芽を応援してやる。そうやって、歳とともに落ちていく感性としての目筋を補っていくのです。


若いころから茶碗のケツばかり眺めてる奴は大成しない


 さて、修業は一生ということで、じゃあ一生毎日毎日、蕎麦猪口のケツを眺めていたり、ぶ厚い美術書をひっくり返していればいいのかというと、そんなのは大間違い。そういうふうにしか頭が働かないから、今の連中は視野が狭すぎるんです。そんなことは必要ないんです。だいたい茶碗のケツばかり見ているような奴は、それしか進歩がないわけで大成することはない。私の友達にも、若いころから骨董が好きな人はいます。世界的に有名なイラストレーターになった者もいればデザイナーもいる。みんな十代から骨董が好きだった。でも彼らは、たとえば絵描きになった人だとすれば、その人は絵描きとして大成するためのひとつの材料として骨董に打ちこんだのであって、骨董で商売しようなんて思ってはいない。


 それとおなじで、目利き、骨董屋として大成するには、十代から骨董以外の何かにひたむきに打ちこまなければいけないんです。いい音楽に感動し、いい旅を経験し、いい友達を作っていく。あるいは水泳やったり、山登りやったり、外国暮らしを経験したり、何かに青春をぶつけるようなひたむきさをもつことが大事なんです。そういう奴が大成する。


 若いときから茶碗のケツばかり追いかけているような骨董業者というのは、一生偉そうなことばかりいいながら自分だけの世界に閉じこもってしまって、大成することがない。そういう人は道を誤ったのであって、科学者か藝術家になったほうがよかったんです。


 私にも子供が三人おりますが、まず全員外に出します。金融でも流通でもいい。まず十年なりそこいらの年月は外の世界を見なければダメ。他所からカネを稼ぐことを教わる。十代から親父の下について茶碗のケツばかり眺めながら「結構なお茶碗です」なんていってるような奴は、まず見こみがないと思って間違いない。着流しなんか着て、自分と世の中を勘違いしてしまっている。その世界しかわからなくなる。


 だから若いときは、骨董以外の何かに、それがスポーツでもいい。若者らしく、ひたむきに向かっていくことが大事なのです。


海外をこの目で見たくて乗りこんだマグロ船と人生の転機


 二十代のころということで、私自身の話を少しばかり――。


 私の父は、父といっても伯父さんのところへ養子に入ったので養父ですが、茶道具の目利きでした。ですから、私自身も幼いころからその世界のなかで暮らしてきたわけですが、決して骨董品ばかりを見て生きてきたわけではありません。


 私の二十代のころというと、昭和三十年代の前半です。第二次世界大戦後の講和条約が結ばれたばかりで、まだ日本人が今のように簡単に外国へは行けない時代でした。そうした時代のなかで、自分の目で外国というものを見たくてしようがなかった。


 それで、無謀というか、単に外国へ行きたいという衝動から、マグロ船に乗りこんだのです。築地の魚市場から。三百五十トン、二十七人乗り組みのマグロ船でした。


 その当時、青春時代を迎えていた人たち、たとえば、小澤征爾が僕の音楽武者修業といって、スクーター一台をもってヨーロッパに行った。あるいは小田実がなんでも見てやろうと海外を無銭旅行した。また北杜夫がどくとるマンボウ航海記といって、やはり捕鯨船に乗っている。私もそういう意味ではその時代の人間なのです。日本人がそれまで抑えつけられてきた向上心が(はつ)(こう)して、爆発的なエネルギーを発していた時代です。


 さて、そうやってマグロ船に乗りこんで、東シナ海を通ってマラッカ海峡の入り口にあるシンガポールまで十四日かかりました。それから、インド洋に出てマダガスカルの沖でマグロとりをやる。約六ヵ月。そのときの思い出、辛さ、楽しさ――。


 いったん海に出たら、十日も二十日も(オカ)を見ない。陸を見ないで晴れた日も荒れた日も、一日二十時間もマグロをとりつづける暮らしが、ひたすら繰り返されることになる。


 寝るにしても船が揺れて揺れてたいへんなんです。ハウスと呼ばれるカイコ棚のベッドの揺れでシャツが()り切れて、靴下みたいに穴が空いてしまう。


 けれども、その素晴らしさ――。星空、海の色、マグロとの戦い、今の日本の日常に埋没している若者には想像もできない何かがあった。


 日本を出発して、はじめての外国シンガポールに立ち寄って、水と燃料を積みこみました。今から数えると三十年以上たちますが、あのときの光景は一生忘れない。築地の魚市場を出て、二週間もかけて南シナ海を航海していくと、まず突如として水平線の彼方に教会の塔が見えてくる。やがて()()の木が見えてくる。そしてだんだんと近づいていくと、シンガポールの街が(こつ)(ぜん)と眼前に現われるわけです。それから(サン)(パン)に乗って波止場に上陸すると、(うつ)(そう)とした(もう)(そう)竹に包まれて赤道直下の強い陽ざしの下、ヤケに活気のある商店街があるわけです。


 異国の陸に降り立ったそのときの感動は、現在でも忘れることができません。


 そうそう、そのとき和歌を一首()んでいます。


夕暮れの港に涼む視線浴び

ローマに続く大陸を踏む



 すごい気概でしょう。


 だから、あのときの思い出を壊したくないので、いまだに高層ビル街の増えたシンガポールには行かないようにしているのです(二〇一四年、テレビ番組「アナザースカイ」〈日本テレビ系〉で、なんと五十四年ぶりに訪れました)。


 さて、そのときの出来事です。シンガポールで一軒の土産物屋に行ったのですが、そのときにある種の啓示を受けたんです。家族にお土産でも買おうかと思ったんでしょう、ワニ皮のベルトとか財布とかを物色していると、()(きよう)の主人が店の奥へちょいと入っていったその瞬間、入り口から風がフワッと吹いてきて、奥の部屋のカーテンがめくれたのです。


 そのとき、その店の奥に「商戦」と書いた物凄い大きな掛け軸が掛かっているのが見えたのです。


 別にどうという掛け軸ではなかったかもしれませんが、その掛け軸に墨痕あざやかに書かれた「商戦」という文字にいたく打たれてしまったわけです。


 商売の戦い――。ここの主人の華僑はシンガポールにこれだけの財力を築いてきた。商売の戦いで築いてきた。ありふれたことかもしれないけれども、そのときの私の胸にグサリと突き刺さり、その後、商売という戦いをやってみようという決意のようなものが生まれたのかもしれません。紺碧のインド洋航海のあとで、そろそろ東京に帰ってみるかと……。


 あれは忘れられない出来事で、もっと歳をとってシンガポールに行ってみようという気持ちになったら、あの「商戦」という掛け軸が掛けてあったところを一度訪ねてみたいと思っています。


 つまり、ここで私がいいたいことは、いま目の前に自分に与えられたものを一生懸命やることが、ひたむきにやることが大事なのだということなんです。それは骨董商に限ったことではありません。


()(はな)(がき)の茶碗との出会いから、ひとつの(ひらめ)きが――


 そこから帰ってきて、またひとつの出会いがありました。二十代の後半です。


 上野の博物館に行ったのです。どんなときに行ったかは覚えていませんが、そこで三井文庫が所有している国宝の卯の花墻の志野茶碗を見たのです。卯の花墻の茶碗というのは今でも三井記念美術館にありますが、あの茶碗を見たときに、ひとつの大きな閃きがあったのです。


 これが日本の美術だと思いました。


 他にもいい物はたくさんあったでしょう。()(こう)(はん)の茶碗もあっただろうし、()()(たに)の大皿もあったでしょう。けれども、すべてその他の物の記憶はなくて、その卯の花墻の茶碗だけが鮮明に記憶に残っているのです。


 どこにどう感動したということではなくて、ただもう強烈に印象に残った、閃いたということです。


 今でも、卯の花墻を見に行きます。もう何十回見たかわかりません。疲れたり、あるいは和やかな気持ちになったとき、私は卯の花墻をわざわざ展示された会場まで見に行くのです。それはまるで提灯(ちようちん)アンコウの提灯のように、あるいは馬の鼻先にぶら下げた人参のように、私のなかにあって私を走らせつづけているのです。


 それはつまり、私の感性と卯の花墻のもつ霊性が一致したということでしょうか。こうした経験ができるのが、二十代から三十代の若いときではないかと思うのです。


 だから、若いときにいい音楽、いい文学に触れ、いい友達と付き合い、いい旅をしなさいということです。ひたむきに生きなさいということです。


「明日ありと思う心のあだ桜、()()に嵐の吹かぬものかは」


 さて、私の話はこのくらいにして、そういう「ひたむき」さというのは、骨董を専門の商いにしたときもおなじこと。ひたむきに前向きの勉強をしていくことです。


 たとえば、新聞に美術品の解説の記事が出ていた。読んでも五分とかからない。だからその場で読む。


 ()(さい)なことだけれども、こういうことを積み重ねていくことが力になっていく。読んだらすぐに忘れてしまうけど、何かおなじような事例に触れたとき、それがひょっこりと出てくるものなんです。あれ、これどこかで見たな。そういえば江戸時代の誰それの作品で、これがそうじゃないか、なんてことが脳味噌の引き出しからスッと出てくるようになる。


 そういう小さな積み重ねをひたむきにやりつづけていく。一年間で三百六十個覚えられる。半分忘れたって百八十個は覚えている。これは凄いことなんです。骨董が好きというのは、こういうことの積み重ねがあって初めていえること。


 私がよく口にする和歌に「明日ありと思う心のあだ桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」というのがあります。明日があるから明日勉強すればいい、明日金儲けすればいい、明日買いに行けばいい、そんな気持ちでいると、夜中に嵐が吹いて全部パアになってしまうんです。


 本当に物が好きな人というのは、たとえば、外国から帰ってきてクタクタになっているときのことを考えてみましょうか。帰ってきてみたらメモが一枚机の上に置いてある。そしてメモには、

「○○市の骨董屋にこういうものが入ったそうです」


 と書いてある。それじゃあ、明日電話して聞いてみよう。それからいいようだったら出掛けてみよう。もう夜も遅いし、疲れているし……もし、そんなふうに思うようなら、その人間はそこでダメ。そのまま自動車を運転して、○○市の骨董屋に夜中でも訪ねるくらいの強烈なひたむきさと精神力がなくちゃダメなんです。明日ゆっくり出掛けて買う人は、それだけのことしかできません。そこには大成するためのひたむきさがないのですから。


「捨て目を利かせる」ことができるか、それが成功の分かれ道


 一生修業するうえで、骨董の世界で大事なことは「捨て目を利かせる」ことです。つまり常に自分の脳味噌の一部に、ほんの少しでいいから余白を作っておくこと。新鮮な古美術の感性やヒントが目の前に現われたときに、そのわずかな余白に、それを入れることができるようにしておくこと。つまり、捨て目を利かせる――。


 たとえば、通勤電車に乗っていたら、電車の窓の外に形のいい樹が見えた。それをちょっとした頭のなかの余白に入れておく。


 なかなかいい形の樹だったな、建物はいい日本家屋だったな、と。


 そして後で何かの機会があったとき、あれが数寄屋の建築家として名高い吉田()()()の生涯の傑作の日本家屋だったことが判明したりする。


 暇があるときに途中下車して見に行ってみる、偶然、家人と話すことになる、そこに新しい人生が待っている。


 そうやって、常に自分のなかに余白の部分を作っておくのです。


 余裕がなくて、いつもカネ勘定で頭がいっぱいで、外の景色なんか見ていられないという心理状態では、捨て目なんて利きません。


 もうひとつ大切なこと。それは、その物で儲けるということばかり考えるなということ。商売ですから儲けることは大事なのですが、それだけに終始するようだと、素直に物に対することができなくなってしまうのです。これは第五章の「鑑定の鉄則」のところでお話しますが、安く買えて万々歳とか、売り先を考えたり、儲けの計算をしているようでは、本当の目利きにはなりません。


 そういうふうにして、人生の階段をひとつずつ踏んでいったときに、欲の心というものが、その人の感性や度量のオブラートに包まれて明からさまには見えなくなってしまうのです。


 どうして、あの人は金儲けの運がいいのだろう、と周りの人は思うかもしれませんが、金儲けがうまいのではなく、本当にいい物がその人のところに寄って来るようになるのです。


 ところが、儲かる物はないかといって目くじらばかり立てている人のところには、それなりの物しか寄ってこない。


 目先だけで儲けようとしていると、目先だけの儲けしかできません。もっと人間を磨かなければいけません。いい旦那にならなきゃいけません。素人でいえば、いいお()()(しや)にならなければいけないのです。


 そういうことが、「修業は一生」ということなのです。


機転が利かない人は目利きはあきらめなさい


 さて、もう少し、目利きに必要なものについて話をしましょう。


 目利きになるには「機転がきかなきゃ」いけません。機転が利かない人は目利きはやめておいたほうがいい。


 機転が利く――これは、なにも学校の勉強ができるということではありません。その瞬間瞬間に、とっさの判断でどっちに行ったらいいかがわかる、そういうことです。機転が利いてはじめて、たとえば自分の生涯を左右するような出来事が目の前に現われたときに、瞬間的に胸を打たれる、啓示を受けられる。自分がただ夢中になって、画商なら画商の店員をやっていたとき、骨董商なら骨董商の番頭や小僧をやっていたとき、そんなあるとき、何か自分のハートを打ち震わすような焼き物なり、絵なり、仏像なりと出会う。


 それが、見事に心のなかの何かを動かしたときに、ひとつの大きな筋というものが自分の人生に一本通るわけです。そうなれば、その道が以前にも増してグンと歩みやすくなるのです。人間には所有欲があり、収集欲というものもありますから、自分が打たれたものを何としても集めよう、自分のものにしよう、という気持ちになれる。


 そういうことの積み重ねのなかで、決定的な出会いというものがあるのです。あの仏像に会わなかったら、今日の私はなかっただろう。自分があのとき、たとえばの話ですが、あの焼き物をトルコのイスタンブールの美術館で見なかったら、今の私はなかっただろう、という出会いが生まれる。


 そういう出会いがなければ、骨董商なんぞやっていても意味がありませんし、面白くもなんともない。また、大成することもない。そのためには機転が利く人間でないとダメです。厳しいようですが、それがなければ、やめておいたほうが幸せな人生を送れます。


 たとえば、機転の利かない人間の場合は、イスタンブールの美術館へ行ってきた。皿小鉢を見てきた。珍しいものを食べてきた。帰ってきた。でも、ただそれだけ。何もない人間は、奈良へ旅をして仏像を見ても、ああ、仏像だ、お釈迦さまかな、お不動さまかな、それだけで終わってしまう。


 だけど、常に機転が利き、自分のなかのものを磨いている人は、自分の心にふっと出会いが生まれるのです。


 イスタンブールの歴史的な背景や、奈良時代の人々の情感がわかり、それが出会いに(いろど)りを添える。そうした出会いを得るためには、常に若いときから機転を利かしていかなければいけません。


 骨董屋の小僧なら、おやじが出かけようとしている。あ、どこの茶会へ行くのかな。どこの市場へ行くのかな。風呂敷を出しておいてやろうか。何を見たがってるかな。今日はきれいな桔梗(ききよう)を見かけたから、部屋に野花を活けておいてやろうか。そういうような機転が利かなければ、大きな出会いも生まれませんし、大きな発見もできません。同業者やお客の電話番号など全部暗記しているうえに、主人が「電話」といった瞬間に、どこへかけたいのかわかるくらいでなければ、立派な商人にはなれません。


 それが、機転が利くということ、頭の回転が速いということで、そういう人間が常にその道を求めつづけていったときに、何かの啓示を受ける。そして、その啓示に沿って伸びていった人は、目筋もいいし、金儲けもうまい。カネの使い方も無論うまい。カネと頭は生きているうちに使え――とは、まさにそのことです。


 チャンスは平等に与えられているはずなのですが、それと出会ってうまく生かせることのできる人は案外少ないものです。


目利きには、ある種のカリスマ性が必要


 さて、目利きというものは、やはり一種のカリスマ性がなければいけないわけです。あまりありすぎてもよくないのですが、ないとダメ。


 たとえば、誰も認めないものでも俺はこの石ころが好きなんだといって、その石ころを集めれば、千人のなかに三人くらい「いい石だね」といってくれる人がいる。そのうちの一人はカネを出してくれるかもしれない。そうすると、あの人が集めてるなら俺も買ってみよう、ってなことになる。そこで大事になるのは、最初に「いい石だ」といってそれに価値を見いだした人間のカリスマ性なのです。


 だいたい目利きというのは1/10秒か1/5秒で物がわかるわけですから、カリスマ性とは、その能力をマジシャンとおなじようにして、世の中にどう提供するか、多くの人をどう説得して魅了するかということなのです。


 奇術だってタネはひとつしかないのです。出し方なのです。その人間にカリスマ性があってはじめて、石ころがひとつの流行という大きな潮流を生む。

「買っておきなさい。その品物はいいものだよ」


 といってハハアと人様を納得させられるのは、ある種のカリスマ性なのです。


 もちろん、経験と実績に裏打ちされたものですが。それがなければ大成できない。それはなにも宗教家的なものでなくてもいい。ふだんは、へそ出してズルズル歩いてたっていいんです。あいつはいつもだらしない男だけど、何か魅力がある。その道に関しては凄いものをもっている。そう他人に思わせる何かがなければいけないわけです。


 そのカリスマ性というのは、基本的にはやはり、もって生まれたもの。そして、それに加えて先程いったように、ひたむきに生きている人間だけがもてるものでしょう。カネ勘定だけ、損か得かだけを考えて生きている人間はもつことができません。打算のなかだけで生きている者には、人を引きつける輝くものが生まれませんから。


本当にいい物と出会うには悪い業者とも付き合わなきゃダメ


 それからもうひとつ、ある程度の心の悪さをもっていなきゃあいけません。


 みんな、いい物が欲しい、本物が欲しい。誰でもそう思う。そうすると、どうするかというと、普通の人はいい商人と付き合おうと思う。どんな古美術の本にもそう書いてある。ところが、そんなことは私にいわせれば、ちゃんちゃらおかしい。


 いい商人と付き合う、こんな楽なことはないわけです。いい商人はいい物しかもっていないんですから。当たり前なことをいい、当たり前のようにいい品を出す。選ぶほうは、だから失敗も何もない。痛い目に会うこともない。


 誰にしても、痛い目になど会いたくはないのですが、痛い目に会ってはじめて本物の目筋ができるのです。そういったことを経験せずに物を見ていると、所詮、過保護な目筋しか身につかない。もし一度失敗したら、取り返しがつかないことになるかもしれません。しかし、それを恐れていたら、泥んこのなかにあるキラリと光る自分だけの宝物を見つけることなんてできやしません。


 だから、悪い人間とも付き合うことです。悪い人間のもっている物のなかにだってキラリと光るいい物があるわけです。必ずあります。それを自分の利点に取り入れる。


 悪い業者のもっている悪の傾向を把握してしまえばいい。そうして、はじめて本物の目筋が育つのです。


 いい業者とばかり付き合っていたら、どんどん偏ってしまいます。楽なほうに行ってしまうのです。やはり、悪を知って、悪を()(しやく)して自分の栄養にする力がなければダメなのです。そのほうが面白いのです。


 いくら、栄養が満点であっても、安心できても、しょっぱい味、辛い味がないと本当の(うま)みが出ないのとおなじです。つまらない。栄養が足りていて味がない、こんな恐ろしいことはないのです。


 たとえるなら、フグなんて食い物は、あたるかもしれないけど旨いのです。牛肉がいちばんおいしいのは腐る寸前です。私の好きなホヤの刺し身とおなじで、そこに魔の味がなければ面白くない。


 でも、これだけはいっておきますが、悪い商人というのは決して大成しません。女を囲って藝者遊びをして、博打(ばくち)で失敗して、死ぬときは六畳一間。誰もいません。


 悪い商人というのは機転が利きません。悪いことにしか頭が働かないのですから。その場その場では儲けることができても、大きな人生のカチマケというものから見ると、それはもう(さん)(した)やくざか、大関までのぼりつめて、また褌担(ふんどしかつ)ぎに戻ってしまうようなものです。本当のいい商人というのは、そうした人間誰でもがもっている悪の心を、人様の役に立つように磨きあげて、世の中に尽くした人のことをいうのです。


日本人の貧しい精神は「高い」しかいえなくなった


 今の世の中というのは非常に困った世の中で、チカラというものが無法であり、カネが悪である、と決めつけてます。そういうような思想がはびこっています。


 でも、カネがなければ世の中というものは成り立ちません。優れたチカラは、やはり正義です。カネというものはやはり文化を呼び、文明を起こします。法隆寺の塔、薬師寺の金堂、あれだけのものはチカラとカネとココロがなければできないでしょう。エジプトのピラミッドにしても、富と力がなければできやしない。何十万人という数の奴隷を使役できるだけのチカラがなければできません。それがあるから五千年後の我々は観光することができるのです。


 そういうような人間の力とカネ、そして悪というものを少しずつ磨いて咀嚼して、いい関係をもちつづけていくということが大切なのです。悪といっても、「悪い」ということではなく、もって生まれた人間の(さが)ということです。ところが日本の多くの古美術愛好家は、そこに気がついていない。ダマされたくない、ニセモノをつかみたくない、損したくない。悪は一切ダメであって、近寄るべからず的な発想に陥っています。そこからは非常に薄っぺらい「買う者と売る者」の関係しか生まれてきません。売る側と買う側の微妙なやり取りが生まれてこない。駆け引きが生まれてこない。そこから生じてくる人情も出てこない。


 昭和二十年代に日本に来たアメリカのGI占領軍。彼らは日本の商売人のところに来て、あるいは骨董屋に来て、「エクスペンシブ(値段が高い)」としかいいませんでした。他の言葉がないのでしょうか。


 そんな関係でしたから、GIたちと私たちとのあいだにはなんの発展性も友情も生まれなかったのです。生まれたのは、あの時代をひたむきに生きた戦争花嫁だけでした。


 それとおなじような関係が今だってあります。戦後七十年がたって世界に名だたる経済大国となった日本。その金持ちの日本人が海外で何をしているでしょうか。


 たとえば中国に行って、街の骨董店へ行く。あるいは韓国の骨董店へ行く、東南アジアの骨董店へ行く。そこで「高い」、それしかいわないのです。向こうも悪い。十(げん)しか値打ちのないものを百元といいます。「高い」「安いよ、旦那さん」「高い」それだけです。これでは、心地よい関係というのはできやしません。


 適度の値切りはあっていい。でも、GIの「エクスペンシブ」とおなじことを今の日本の観光客はやっているのです、「高い」と。こういうような狭量なことばかりやっているから、いつまでたっても馬鹿にされる。よりよい関係は発展しないと思うのです。


 これは露店商に対してもいえることですが、値切られたら、「よその店へ行きなさい。当店はまけません」というようなプライドやこだわりをもつことも大事なのです。ところが買うほうは何しろ物がわからないから「高い」としかいえない。逆にいえば、高いからいいんだという、とんでもない認識までもってしまう。そうすると売るほうは高くしておけばそれだけで売れる。それに、その高い値段の半値にしてやれば「いい買い物をした」と喜んで買っていく。五千円しか値打ちのないものを十万円にし、その半値の五万円で売っている。けれども本当は五千円の値打ちしかありません(ただし、中国人はこれが文化なのです。気をつけてください)。


 そういう不毛な売り手と買い手の関係しかないのです。


 いい商人、つまりいい意味での「悪い商人」というのは、五千円しか値打ちがないものは、三倍の一万五千円で売る。一万円しっかり儲ける。でも、放り出しても、五千円の値打ちはあるわけです。


 一万円ちゃっかり儲けているわけですが、それは、客が支払うべき授業料、客の蒐集欲を満足させてあげるための商人の努力費、そしてその骨董商が何十年と(つちか)ってきたノウハウに対する月謝と考えれば、そんな法外な値段ではない。商売というのは、つまりそういうことなのです。


このままじゃ、本当の骨董商、骨董愛好者はいなくなってしまう


 商人、目利きの究極の理想を端的に表わしている言葉に、孔子の「心の欲するところに従って(のり)をこえず」というのがあります。


 裸で歩きたかったら裸で歩けばいい、贋物を売りたかったら売ってみればいい。けれども、それが道義にかなっていると誰もが認める程度のものか、どうか。そういう(ほん)(ぽう)な精神のなかにもある程度の自制心をもっているのが、「いい意味での悪であり」本当の商人道ということです。


 それこそ孔子の説くところなのです。


 どうして今のような客と商人の関係になってしまったのか。それは、今のお客が物を見ようとしないから。値段で物を見ようとするからです。


 先生、どうやったら本物がわかるんですか、と誰かが聞く。

「ハイ、三角になっていて、赤い色が塗ってあれば本物なんだよ」

「ああそうですか。じゃあ三角になっていて、赤い色のものを買おう」なんていう間違えた物の見方をしてるから、「高い」としかいえないのです。


 こんな(てい)たらくだから、海外で骨董、美術品を買う日本人がみんな二番手に引っかかっているのです。それは、物が見えないうえに「高い」としかいえないからです。これは恥ずかしいことです。


 それは結論からいえば、心の貧しさです。

「いくらですか」

「十万円です」

「いや、私は十五万円と踏みました。せめて、もう二万円、小遣いにとっといてください」


 そのくらいのことがいえる度量のある人がいなくなってしまった。


 だから、心を磨くしかない。


 オカネだけではなくて物を見る目とそれを扱う心の豊かさがなければ、日本から本当の骨董愛好者、骨董商がいなくなってしまいます。


 かたや、いい商人とばかり付き合って(あん)(のん)とした骨董生活を送っているようでは、本当の目筋は磨けない。


 そういう努力をしないと、物の霊性を見るなどということはもう、遠い昔のおとぎ話になってしまうのです。


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