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戦後アウトローの死に様
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ルポ・エッセイ
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山口二矢(右翼活動家=昭和三十五年十一月二日没)

『戦後アウトローの死に様』
[著]山平重樹 [発行]_双葉社


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 それは虫の知らせというものであったろうか。


 いや、もともとそんなものは信じない合理主義者であり、次男である息子もそのことを知っていた。だからこそ次男も、どうせ親父は夢枕に立っても信じまい、だったらラジオなら信じるだろうと目を覚まさせたのだ――と、その父は後に思うようになる。


 そのとき、彼がポータブル・ラジオのスイッチを入れたのは、まったくの気まぐれだった。夜中、ふっと目を覚まし、真っ暗ななか、布団から手を伸ばした先にラジオがあったのだ。


 ラジオから流れてきた放送は、彼にはとぎれとぎれにしか聞こえてこなかった。

「………十七歳は……少年鑑別所で二日午後……自殺を図ったが、午後………死亡しました。只今のは毎日新聞の臨時特報でありました」


 偶然にも深夜のラジオの臨時ニュースを聞く破目になって、彼は考えこんだ。


 えっ、十七歳? うちの次男と同じじゃないか。けど、十七歳と言っても、日本には何百万人といるわけだし、少年鑑別所と言ってたな。だったら、次男はいま警視庁にいるはずだから、関係ない……しかし、いまの日本で、その死がこんな真夜中のラジオで臨時特報が流されるほどの十七歳となったら……。

〈息子に違いあるまい…〉


 その父がほとんど確信した瞬間だった。


 昭和三十五年十一月三日午前〇時四十分過ぎのことである。


 彼の次男――山口二矢が東京・練馬の東京少年鑑別所において、首を吊って自ら命を絶ったのはそれより五時間近く前、十一月二日午後八時過ぎのことだった。


 山口二矢が日本中を震撼とさせた浅沼稲次郎社会党委員長刺殺事件を起こしたのは三週間前、同年十月十二日のこと。同日午後から東京の日比谷公会堂で開催されていた「三党首立会演説会」で、浅沼が民社党委員長の西尾末広に続いて壇上にあがり、演説していた最中の出来事であった。


 山口二矢はその場で取り押さえられ、丸の内署に逮捕された。ただちに警視庁へ移送されて取調べを受け続けた二矢少年は、「刑事処分相当」の意見書付きで家庭裁判所に送られることになり、三週間後の十一月二日、身柄を警視庁から練馬の少年鑑別所に移送されたのだった。


 警視庁から鑑別所まで送ってくれた取調べ担当官に対して、別れる際、二矢は快活に手を振ったという。その警部補は、いつにない二矢の晴れやかな表情が印象に残ったものだった。


 同日午後二時過ぎ、鑑別所に着き、教官から入所心得を聞かされると、二矢は直立不動の姿勢のまま、

「はい、お世話になります」


 と、きびきびと答えた。問題児とは程遠い折り目正しい少年の態度に、担当の者たちの印象もすこぶる良かった。


 二矢は東寮と呼ばれる単独室だけの棟の二階第一号室に入れられた。ベッドと便器と洗面所が備えつけてあるだけの三畳ほどの部屋だった。壁は暗灰色のコンクリートがむきだしである。


 その寒々とした部屋で、二矢は午後四時少し前、便器を椅子代わりに、洗面用の流しを卓として夕食を摂った。


 夜七時五十五分、教官が巡視したとき、二矢はベッドの中で休んでいた。いくら態度の良好な模範的な収容者とはいえ、重大事件の犯人である少年に対して、鑑別所側もとりわけ注意を払っていたのは確かである。


 二矢が東寮第一号室に入ったときからずっと思案していたことを行動に移したのは、教官が去った後だった。


 ベッドのシーツを細長く裂くと、それを()って八十センチほどのヒモを作った。


 天井の裸電球を覆っている鋳物製の金網に、そのヒモを引っかけることができたら、なんとか事は成就できそうだ――と、二矢は考えたのだ。


 そしてそのイメージ通り、二矢はシーツでこしらえたそのヒモをうまく天井の金網に引っかけることができた。それを引っ張ってみて強さも調べた。


 その輪状に丸めたヒモの中へ、この首を差しだして………なんとも心もとない金網だが、この小柄な躰ぐらいは支えてくれるだろう――。


七生報国 天皇陛下万才



 二矢は自決するにあたって、尊敬する特攻隊の若者のように、せめてひと言、自分の思いを遺したかった。


 ふっと目の前の暗灰色の壁に目を止めたとき、そうだ、この壁にしよう――という気になった。


 翌朝使うために支給された粉歯磨を手にとると、二矢はそれを水に溶いた。


 書く文字はもう決めてあった。文字通りこの世に遺す最後の言葉。


 二矢は人さし指を筆にして一文字一文字時間をかけ、魂をこめて書いた。


 全部で十文字――。

《七生報国 天皇陛下万才》


 七度び生まれ変わっても忠を成し、陛下のもとに帰一すること……。


 決行前、暗誦できるほどに読んだ谷口雅春の『天皇絶対論とその影響』の、

《天皇への帰一の道すなわち忠なり。忠は天皇より流れ出で 天皇に帰るなり。わが『忠』わたしの『忠』 我輩の『忠』などといいて『我』を鼻にかける『忠』はニセモノなり。私なきが『忠』なり》


 との一文が、胸奥から溢れ出てくるようだった。


 大義は尊皇。道は忠。


 もう何も思い残すことはなかった。


 二矢はベッドの上にあがった。深呼吸をひとつした。あとは思いきり飛ぶだけだった。


 教官が二矢の部屋を巡視して去った五分後の午後八時、全収容者の総点検・一斉点呼が始まった。


 この日、練馬の東京少年鑑別所の中央、東、西、北の四寮に収容されていたのは、男三百十七人、女子五十一人の計三百六十八人。それを七人の教官が手分けして順に点検してまわるのだから、たっぷり三十分以上かかるのがつねだった。


 二人の教官が、二矢の東寮二階第一号室に到着したときには、点呼開始から三十一分が経過していた。部屋の主の「異常なし」の状態を確認してから三十六分後である。


 教官二人が二矢の部屋を点呼しようとしたとき、「あっ」と声にならない声をあげた。


 予期せぬ事態に、彼らは驚き、その意味をとっさには解しかねた。いったい天井から何がぶら下がっているというのだ?


 が、それもほんの一瞬のことで、彼らはすぐさま我に返り、首を吊っている二矢を床に下ろした。その躰にはまだ温もりがあったので、一人が人工呼吸を施し、もう一人が連絡に走った。


 所長もただちに駆けつけてきた。医者でもある彼は、人工呼吸が続けられている二矢に、数十本のカンフル注射を打った。


 だが、それでも二矢の心臓が甦ることはなかった。


 安らかな死に顔で、朝四時過ぎに鑑別所に到着し、息子の遺体と対面した父は、その手記で、

《おや、青い顔をしてるな、と思った。考えてみれば死んでいるのだから当然のこと。つまり死んでいるのが感じられない位穏やかな顔をしていた。


 後にある週刊誌が「にっこりほほえんでいた」、と報じていたが、そんな感じがしないでもなかった》


 と述べている。


 沢木耕太郎が『テロルの決算』で著しているように、山口二矢は一人の自立したテロリストであった。誰に命じられたわけでもなければ、使嗾されたわけでもなく、最初から最後まで自分一人の信念に基いて決行したことだった。


 自死の当日、練馬の少年鑑別所に移送される前、警視庁において最後の訊問が行なわれ、現在の心境を問われ、二矢はこう供述している――。

《浅沼委員長を倒すことは日本のため、国民のためになることであると堅く信じ殺害したのでありますから、やった行為については、法に触れることではありますが私としてはこれ以外に方法がないと思い決行し、成功したのでありますから、今何も悔いるところはありません。


 しかし現在、浅沼委員長はもはや故人となった人ですから、生前の罪悪を追求する考えは毛頭なくただ故人の冥福を祈る気持ちであります。また浅沼委員長の家族に対しては経済的生活は安定されているであろうが、如何なる父、夫であっても情愛には変わりなく、殺害されたことによって悲しい思いで生活をし、迷惑をかけたことは事実でありますので、心から家族の方に申訳ないと思っています》



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