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銀幕おもいで話
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第2章 萬屋錦之介――純真すぎたスター

『銀幕おもいで話』
[著]高岩淡 [発行]_双葉社


読了目安時間:26分
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 日本人の最大の娯楽が映画だった、のちに「日本映画の黄金期」と言われるようになる1950年代。


 老いも若きも、銀幕にかかる時代劇に、胸のすく思いをして、明日への活力としていた、そんな時代。

「錦ちゃん」と呼ばれて、誰からも愛されたスターがいました。


 歌舞伎界から、映画界へと華麗なる転身を遂げて、その目鼻立ちのくっきりした紅顔の美青年と呼ぶに相応しいマスクと、見る人誰もが明るい気分になる、はじけるような笑顔で大人気になった中村錦之助、のちの萬屋錦之介さんです(72年に改名)。


 錦ちゃんは、我々、東映京都撮影所のスタッフにとっても、「錦ちゃん」と親しみを込めて呼ぶことのできるような、そんな存在だったのです。


 


 中村錦之助(若い頃の芸名)さんは、三代目中村時蔵を父に持つ、歌舞伎界の御曹司。しかし、四男ということで、歌舞伎界では自分の思うような役柄が得られないことに、やるせないものを感じていたようです。


 そこへ、当時破竹の勢いだった、映画業界からのスカウト。錦ちゃんは、

「ここに自分の活躍する世界がある」


 と映画に活路を見出しますが、当時の歌舞伎界は、歌舞伎と映画の両立を許そうとはしませんでした。


 錦ちゃんも、父の時蔵さんから、

「映画をやりたいのなら歌舞伎を辞めて行きなさい」


 と言われ、

「わかった。俺は自分の信じる道を行く」


 と、映画とともに生きることを決断。


 それから、大スターになっても、錦ちゃんは決して歌舞伎界に戻ろうという未練を見せなかったのですから、偉いものだと思います。


 松竹の偉い人が、錦ちゃんのお母さんを通して、

「なんとかもう一度、歌舞伎に出てもらえないか」


 と頼みに来たときも、

「それは絶対に嫌や。自分は映画で生きると決めたんや」


 と、自分は映画スターであるという意思を翻そうとはしませんでした。


 決めたことはどこまでも真っ直ぐに、貫いてゆく。錦ちゃんは、まさに若い頃の映画の役柄通り、純真で、真っ直ぐな人柄でした。ただ、のちのちになると、その純真さが、かえって錦ちゃんを苦しめた面もあるような気がするのです。


 


 ねじり鉢巻に天秤棒をかつぐ威勢のいい魚屋で、喧嘩もするがなにより義理人情に厚い。それが錦ちゃんが演じた、一心太助というキャラクター。


 この一心太助のシリーズ(5863)で、私、高岩淡の名前は「進行主任」としてクレジットされています。昭和の歌姫、美空ひばりちゃんと錦ちゃんが共演した60年の『殿さま弥次喜多』でも、私は進行主任。この頃は、もっぱら進行主任というのが、私の役割でした。


 どんな仕事かというと、予算管理から役者のスケジュール管理、役者やスタッフのさまざまな御用聞き。とにかく映画撮影に関するあらゆる雑用をこなす役割といえばいいでしょうか。


 


 当時の東映京都撮影所は、荒々しい職人の世界。スタッフたちは学歴なんかないけれども、その仕事たるや、みな超一流でした。


 そういうふうに技一本でやってきた人たちですから、私を含めた大卒が入ってくると、最初は反発されたんです。京都という土地の排他性も相まって、最初は私もずいぶん戸惑いました。


 しかし、私が職人の方たちと心が通じ合うようになった、面白い出来事があるんです。


 それは、私が東映に入ってすぐの、会社の運動会でのことでした。


 騎馬戦――といっても、格闘するわけでなく、騎馬の上から玉入れをするというものです――が行われました。


 ヨーイドン、で競技が始まると、職人たちが皆私たち大卒社員の方へ、すごい形相で押し寄せてくるのです。

「この大学出のくそインテリが。何もわからんくせに、給料俺らの倍取りよって!」


 そう叫びながら、照明や撮影のごつい猛者たちが、猪突猛進してくるのです。


 私も、血気盛んなものですから、

「受けて立とうやないか!」


 と、息巻いて、私は馬だったのですが、ほかのふたりの馬に向かって、

「お前ら、俺をしっかりつかんどけ」


 上に乗っている奴には、

「安心して球投げやっとれ!」


 と言い切ると、かつて空手もやっていた胆力を活かして、襲いかかってくる連中をこれでどうだとばかり、4、5人をいっぺんに脚で蹴散らしました。


 すると、撮影所長と次長が、慌てて駆け寄って来ました。


 その運動会は、当時の社長の大川博さんも見に来られていたのですが、

「高岩君。大川社長の前で、なんということをしているんだ!」

「これは正当防衛ですよ。向こうが襲いかかってきたんですから」

「いや、とにかくやめてくれ。頼むから」


 そんなことがありましたが、不思議なことに、その一件以来、私は現場の職人さんたちとすっかり仲が良くなり、腹を割って話せるようになったのです。やがて京都という土地にも馴染み、私は京都撮影所が大好きになっていきました。

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