お久しぶりです。いよいよ「嘘だらけシリーズ」が帰ってきました。『嘘だらけの日米近現代史』『嘘だらけの日中近現代史』『嘘だらけの日韓近現代史』の三部作に続き、今回は、ロシアです。
ロシアの話をする前に、「嘘だらけシリーズ」で、これまで何を語ってきたのかおさらいしておきましょう。
「嘘だらけシリーズ」は、「日本人の自虐的な歴史認識と歪なナショナリズムを正そう」という目的で書き始めました。
第一作の『日米』では、日本人として「何がなんでも好き」では困るけど、「何がなんでも嫌い」でも困るアメリカという国と、どう向き合うかについて面白おかしく描きました。私が世に出た作品ということで、非常に思い入れがあります。
帯の「リンカーンは極悪人、ウィルソンは狂人、ルーズベルトはスパイ、クリントンは破壊者」といった表現は、アメリカ人が世界中に垂れ流しているプロパガンダに等しい歴史観になじんでいる日本人が聞くとびっくりするかもしれませんが、どれも事実です。
また、「三つの法則を使ってアメリカを理解しよう!」ということで、アメリカの歴史を日本との関係で俯瞰しました。
その一、アメリカはバカ!
その二、アメリカはヘタレ!
その三、でも、やるときはやる!
しかし、「何がなんでも好き」の媚米拝米でもなく、「何がなんでも嫌い」の反米嫌米でもなく、成熟したナショナリズムという真の意味での「親米」に今の日本人がたどり着くには、まだまだ時間がかかりそうです。
第二作の『日中』で、何かともめごとが多い中国のあしらい方を述べたのが次の三法則です。
一、力がすべて
二、陰謀でごまかす
三、かわいそうな人たち
しかし、この三法則よりも、次の「中国史のパターン」のほうが話題になりました。
一、新王朝、成立
↓
二、功臣の粛清
↓
三、対外侵略戦争
↓
四、漢字の一斉改変と改竄歴史書の作成
↓
五、閨閥、宦官、官僚など皇帝側近の跳梁
↓
六、秘密結社の乱立と農民反乱の全国化
↓
七、地方軍閥の中央侵入
↓
八、一へ戻る
一部の漢文マニアは「そんなことあるか!」と発狂したようですが(笑)、その直後に「時々、逆行したり順番を飛ばしたりしますが、基本的にこのパターンを数千年間繰り返して今に至っています。はっきり言えば、秦の始皇帝も漢の劉邦も中華人民共和国の毛沢東も同じです」と記してあった注釈を読んでいないのでしょう。
では、今の習近平はこのパターンから逃れているのか。今を「五」と見るか「六」と見るかはともかく、ひたすら「古代と中世を繰り返している地域」という結論は動かしがたい事実です。中国に意味不明な思い入れをしている人たちにとっては、残念ながら。
中国にわけのわからない幻想を抱くのはいい加減にやめましょう、ということです。ついでに言うと、「支那」ではなくわざわざ「中国」と呼んでいるのは、「犯罪者を呼ぶときは、本人が自称する呼称で呼べばよい」という原則に従っているだけです。念のため。
第三作の『日韓』では、最近やたらと話題に上ることが多い韓国を取りあげました。韓国の法則は次のとおり。
一、頭の中身がファンタジー
二、軍国主義でないと正気を保てない
三、反日を言っていないと親日になってしまう
我ながらよくもまあ、なんの変哲もない話をここまで面白おかしく飾り立てできたな、と思います。たとえば「朝鮮人を人間扱いしたから大日本帝国は滅びた」というウェブの記事に嚙みついてきた団体があったのですが、中身をよく読めば世界中の学会で伝統的な帝国主義論について書いてあるだけです。見出しでしか判断しない人のいかに多いことか。
アメリカが「むかつくトモダチ」で、中国が「単なる敵」だとしたら、韓国はなんでしょうか。歴史的に見れば中国は朝鮮半島を自分の一部だと思っていて、日本は日本で「通り道」としてしか見ていなかった。ネトウヨが「世界で一番嫌いな国は韓国」というのは勝手であり、私もその根拠となる韓国の無礼については否定しません。しかし、韓国だけを取りあげて叩いてなんの意味があるのか。そこだけ見てほかを見ようともしない。絶対評価さえあれば相対評価はいらない。これではバランス感覚など生まれるはずがありません。アメリカ叩きの場合も同じですが、なぜ全肯定か全否定の極端な意見しかないのでしょうか。バランス――中庸とか平衡感覚、というのは言うは易く行うは難し、ですがその姿勢を持たなければいつまでたっても正しい道に近づけないのは明らかでしょう。
「韓流ブーム」も今は昔、最近はおよそ政治に関心を持っているとも思えないサラリーマンやOLすらも「韓国って、嫌なヤツだよね」という風潮があり、「反韓嫌韓」本が次々と大ベストセラーになるご時世に、「韓国ごときをいちいち相手にしてるんじゃねえ!」というお説教をぶっこんだのですが、おかげさまで大反響がありました。
脅迫状が三通も来ました。毎回、八重洲ブックセンターというところでサイン会をしているのですが、このときは護衛が四人もつく厳戒態勢のなかでのサイン会となりました。某元首相のSPよりも多いです。もはや笑うしかありません。
三冊ともに共通しているのは、みんなが信じている「通説」を紹介したうえでその誤りを正していく、という体裁をとっていることでした。その国の成り立ちから日本との関係、そして現代を通観できるようになっています。
私がアカデミズムの世界に見切りをつけ、こうした物書きの世界に飛び込んだのも、まさに「通史」を描きたかったからでした。部分的には、ものすごく詳しい人は多い。しかし、全体を語れる人がほとんどいません。これは大学教授も、そこらのオタクであっても変わりません。たいていの大学教授は「自分の専門以外のことを語らないのが美学だ」などとわけのわからない言いわけをして己のモノ知らずを自己正当化しますし、オタクは最初から自分の好きなことしかしません。
だから、部分的には正しくても全部つなげると意味不明な話になりかねないのです。「日本はアメリカに脅されて開国しました。でも明治維新をやって日露戦争に勝ったら調子に乗って、中国を侵略しました」式の説明です。この説明、百パーセント正しいわけでも、百パーセント間違っているわけでもありません。
そもそも歴史とは、一人の人間が体験できない時間と空間を、事実に基づいて因果関係を説明する営みです。誰かが考えたどれか一つの説明が正しい、などということはありえないのです。そもそも、どの事実を取りあげるかによって、その歴史家の立場が表れるのですから。
すでに「嘘だらけシリーズ」をお読みの方はおわかりかと思いますが、三部作のどれも前半はイケイケドンドンで「大日本帝国万歳!」みたいな内容で、「日本人に生まれてよかった」と心の底から言えるような物語なのですが、いつの間にかシンミリとした気分になったと思います。もちろん、後半とは敗戦以後の話です。
『日米』をお読みになった方は、「『巨大なアメリカに“ちっぽけな日本”が挑んだ』なんていうのは嘘だったのか!」「どこで今みたいになってしまったんだ」と思ったことでしょう。
『日中』の前半では末期清朝を、同じく『日韓』では李氏朝鮮をこれでもかとこき下ろしています。多くの反中嫌韓の人は溜飲を下げたことでしょう。日本人として「これくらい言い返さなくてどうする?」というつもりで徹底的に筆誅を加えました。
しかし、後半をお読みになって、どう思ったでしょうか。
アメリカの持ち物にされ、さらにソ連や中国にチョッカイを出される。敗戦後の日本こそ、末期清朝や李氏朝鮮の姿にほかなりません。
「嘘だらけシリーズ」第一期は、米中韓で完結しました。帰ってきた第二期シリーズはロシアから始めます。今までとは違ったトーンで。
近代日本にとって、脅威であり好敵手であり、時に友人であり、多くの時期は憎むべき敵である国の物語の始まりです。