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嘘だらけの日露近現代史
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歴史
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第一節 「ウィーン包囲作戦」――野蛮人がヨーロッパの仲間入り

『嘘だらけの日露近現代史』
[著]倉山満 [発行]扶桑社


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 イヴァン四世のあと、モスクワでは在位年数の短いしょぼい王様が続きます。このころのモスクワ帝国は、ボチボチ生きていました。ポーランドにモスクワを焼かれたり、スウェーデンにノヴゴルドを占領されたりと細かいことはあるのですが、あまりおもしろくないので飛ばします。日本で、東京が焼き打ちにされたり、大阪が外国に占領されたりすれば大事件ですが、ユーラシア大陸で一々そんなことを気にしていたら生きていけません。ピョートル大帝が出てくるまで我慢してください。


 相変わらずヨーロッパには負けながら、東のシベリアには進出して領土を増やしていくのがモスクワ帝国です。


 むしろ、ロシアを理解するには同時代(イヴァン四世崩御の一五八四年からピョートル大帝即位の一六八二年)のヨーロッパを理解する必要があります。


 一五八四年といえば、日本では豊臣秀吉の天下統一が眼前に迫っていたころですが、ヨーロッパでは絶対主義王権と抵抗勢力の抗争が続いていました。


 アフリカやアメリカ大陸に飛び出していったポルトガルやスペイン、さらにその地位を奪おうとするオランダやイングランド。彼らは地球の裏側の日本にまでやってきます。


 王権に対する抵抗勢力は、バチカン以下のカトリック教会、神聖ローマ皇帝、貴族、プロテスタントの教団です。彼らはくっついたり離れたりを繰り返しながら、最後は一六一八年からヨーロッパ全土を巻き込んだ三十年戦争を始めます。


 三十年戦争は「最後の宗教戦争」といわれるだけあって、凄惨を極めました。敵領地の農民に人糞を食わせて殺すという「スウェーデンビール」なる行為が平気で行われた野蛮な戦争です。なんのためにそこまでするのか日本人には理解しがたいのですが。


 カトリック陣営はバチカン・神聖ローマ帝国(オーストリア・ハプスブルク家)・スペイン、プロテスタント陣営はオランダ・スウェーデン・デンマーク・イングランドに分かれて戦いました。敬虔なカトリック国のポーランドは、独自にスウェーデンと戦争をしています。戦争そのものはカトリック国のフランスがプロテスタント陣営についたことで、決着がつきました。以後、ヨーロッパは、相手を皆殺しにするまで終わらない宗教戦争と決別し、王様たちが外交や戦争をゲームのように行う時代になります。


 さて、モスクワ帝国を荒らし回ったポーランドやスウェーデンは、当時のヨーロッパの大国でした。この両国は、北欧と東欧の覇権をめぐるライバルでした。モスクワはそれらに一歩劣る存在ですが、それでも「モスクワを敵に回すと危ない」くらいの存在感はありました。領土は広いのですが、それは無人の荒野に等しいシベリアに向けて拡張しているだけで、軍事強国だったポーランドやスウェーデンには劣ったのです。


 当時のスウェーデン王グスタフ・アドルフは、今なお世界の軍事史で特筆大書される名将です。神聖ローマ帝国の傭兵隊長・ヴァレンシュタインとの名勝負は世界中の軍人の常識です。グスタフ・アドルフは、歩兵・騎兵・砲兵の「三兵戦術」を巧みに駆使し、ヨーロッパ随一の名将として鳴らしました。対するポーランドも、勇猛果敢で知られた騎士の国です。両国は三十年戦争の真っ最中の一六二一年~一六二九年に大戦争を起こしますが、決定的な決着はつかずに終了します。和議を得たグスタフ・アドルフは三十年戦争に本格介入し、プロテスタント陣営は勝利します。グスタフ・アドルフ本人は戦死してしまいますが、スウェーデンはヨーロッパでもっとも発言力のある大国になります。


 そして、三十年戦争の和議を話し合うウェストファリア会議で、グスタフ・アドルフを継いだクリスチーナ女王が、人類の歴史に残る大発言をします。

「自分と違うことを考えている人間だって、殺さなくていいじゃない」


 まあ、原文ママでこんなことを言ったわけではないのですが、大まかにまとめるとこんな感じの主張を繰り返し、「キリスト教世界の調和」を強調しました。


 当時のヨーロッパは、「異端の罪は異教の罪より重い」などと言いながら、同じキリスト教どうしで殺し合いを続けていました。魔女狩りを見ればわかるとおり、「心の中で違うことを考えているかもしれない」というのは、「殺さなければならない」理由になりました。「人は殺してはいけない」という現代日本人にとってはついていけない考え方ですが、当時のヨーロッパがそうだったのだから仕方ありません。


 ちなみに、モスクワなど東方正教はどうかというと、この人たちは「儀式の格好よさ」を何よりも優先するので、意外なことに宗教戦争とは無縁です。


 クリスチーナから見れば、東方正教でめぼしい国はモスクワのほかにはバルカン半島の国々ですが、この時期のバルカンは丸ごとオスマン・トルコ帝国の支配下です。イスラム教のトルコはもちろん、「アジア人扱い」のモスクワも、「キリスト教世界の調和」には含まれていなかったのです。


 北方の雄として勢力を伸ばすスウェーデンに比し、ポーランドは内紛を諸外国につけ込まれ、小国に転落していきます。「大洪水時代」と言われる受難の時代です。ただ、十七世紀のうちは、まだまだ大国の地位を確保しています。モスクワは、スウェーデンとポーランドの抗争で、常に都合がいいほうにつく、という対応を徹底しました。


 モスクワにとって、大事件は一六八三年のウィーン包囲作戦です。一五二九年の事件と区別するため、第二次ウィーン包囲作戦と呼ばれます。


 神聖ローマ帝国領のハンガリーで反乱が起こり、叛徒たちは異教徒のトルコに援助を要請しました。オスマン帝国は十五万の大軍を率いて、帝都ウィーンに向けて進撃します。これにフランス以外のヨーロッパ諸国は、イスラム教徒に対するヨーロッパ・キリスト教徒の「神聖同盟」を組んで対抗しようとします。その数、約八万。「強大なオスマン帝国」に比して、「全ヨーロッパ連合軍」はこの程度です。ちなみにこれは関ヶ原の戦いと同規模なのですが、百年前の豊臣秀吉の小田原征伐でも二十万人、対抗して立てこもった北条氏も六万人ですから、日本の大大名は欧州の主権国家並みの動員力を持っていたということになります。当時の日本がいかにすごいかわかります。


 閑話休題。このとき、ポーランドが「モスクワ君も入れてあげよう!」と言いだしたので、ようやくヨーロッパの仲間入りができました。一六八六年、ポーランドと「永久平和条約」を結び、神聖同盟に加盟します。晴れてヨーロッパの国として認められた瞬間でした(それにどういった価値があるかはさておき)。ちなみに、ロシアの法則がわかっていれば「永久平和」がどういう意味か簡単におわかりになるでしょう。「自分に都合がいい間だけ続ける」という意味です。


 ちなみにフランスがヨーロッパ連合軍に参加していないのは、神聖ローマ帝国の皇帝の座を占めるハプスブルク家が憎くて、敵の敵は味方だとばかりに、トルコに媚び(へつら)っていたからでした。


 この戦争は、神聖同盟の完全勝利に終わりました。一六九九年カルロビッツ条約でオスマン・トルコはハンガリーを神聖ローマ帝国に割譲します。トルコがヨーロッパに負けた最初でした。


 ここでロシアの法則発動です。弱いヤツはつぶす!


 一部の資源地帯を除けば氷の塊にすぎない不毛の地シベリアと違い、文明の最先端地域を押さえるオスマン・トルコ領は魅力的です。


 日本人は「ギリシャ以来、文明の最先端地域はヨーロッパ」と思い込んでいますが、間違っています。なぜ四大文明にヨーロッパが入っていないのか? そんなところから説き起こす紙幅はありませんが、本書で既述したように、ヨーロッパ全部が束になってかかってやっとオスマン帝国一国と引き分けた、と覚えておいてください。科学技術だって、イスラム世界のほうが先端です。


 そのトルコが弱みを見せた!


 このあと、モスクワはロシアになってからを含め、十数度に及ぶ露土戦争を行い、国力を伸ばし大国化していきます。ヨーロッパからは「野蛮なアジア人」として扱われながら、力を身につけるまでは耐えに耐え、好機をつかんだら一気呵成にことを起こす。見上げた根性と言うべきでしょう。


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