エリツィンは、一九九八年から首相を相次いで解任していました。三月に五年間仕えてくれたチェルノムイルジンを皮切りに、八月にキリエンコ、一九九九年五月にプリマコフ、八月にステパーシンと猫の目のように首相が代わります。忠誠心があってもなくてもダメ、有能でも無能でもダメ。「だったらどうしろと言うんだ?」と言いたいところですが、どうしようもありません。
ただし、一九九九年八月に、ウラジミール・プーチンが登場したときは異様でした。明らかにエリツィンに独裁者の雰囲気はなく、何かに脅えているようにも見えました。
通説に値しない風説の流布
プーチンは柔道が好きだし、日本文化を大事にする親日派だ。
プーチンが権力を握っているうちに、北方領土を返してもらおう。
こういうのを「批評に値しない風説の流布」と言います。
これは先に結論から言いますが、プーチンの目の黒いうちは北方領土交渉に限らず、「甘い考えを抱くな!」です。
彼が何者かを振り返りましょう。
今でこそ物腰柔らかな演出を考えているのでしょうが、私の第一印象は「コイツ、絶対に人殺しだ!」でした。どことなく、他人のような気がしなかったのも確かですが(嘘です)。それもそのはず、ソ連時代のKGBに志願して入り、東ドイツで裏仕事をやっていた人間で、首相就任当時はKGBの後継組織であるロシア連邦保安庁の長官でした。
“ソ連じゃんけん”でいえば、秘密警察の天敵である党はもうありません。国家主義民族主義のエリツィンがそれに代わっていましたが、力が弱くなれば話は別です。バランスが崩れ、秘密警察の代表であるプーチンが権力を掌握したのです。
年末、エリツィンはプーチンに大統領職を禅譲します。プーチンは「強いロシアの復活」を掲げます。今に至るまでプーチンの世界観は変わりません。
第一の対象は、ロシア国内の権力掌握。クレムリン宮殿を舞台に行われるロシア政界の権力闘争だけではなく、チェチェンなど分離独立を企む勢力もこの範囲内の敵です。