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決定版 人物日本史
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歴史
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14 源義経……平家追討に獅子奮迅の働きを見せながら兄に殺された悲劇のヒーロー

『決定版 人物日本史』
[著]渡部昇一 [発行]扶桑社


読了目安時間:27分
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鞍馬山から奥州へ、牛若丸のプロフィール


 平家を滅ぼすのに一番の手柄をあげたのは、言うまでもなく源義経(一一五九~一一八九)である。義経は、江戸時代からずっと日本で一番の戦争のうまい武将というイメージで語られている。武勇に優れているものだから、子供たちにも広くその名が知れ渡っていた。戦前の教科書では、小学校一年のときに『牛若丸』という歌が載っていた。この歌は子供にも大人にもうたわれた日本人にとってのロマンのある曲だった。そのほか源平合戦の(ひよどり)(ごえ)の様子も歌になっている。


 最初に義経のプロフィールを紹介しておこう。『大日本史』は、義経を次のように描写している。小さいときの名は牛若丸で源義朝の第九子。体が小さくて、色白で、反っ歯だった。神彩秀発で人並み以上に(びん)(しょう)であった。母は(とき)()()(ぜん)(一一三八~?)で、宮中において(ふじ)(わらの)(これ)(みち)の娘に仕えていたが、伊通によって侍女のうちで最も美しい女性に選ばれたほどの美女だった。


 常盤御前は後に義朝に嫁いで三人の子供を生んだ。今若、乙若、牛若の三人で、一番小さいのが牛若丸であった。生まれた年は平治元年(一一五九)、この年に起こった平治の乱で義朝は藤原信頼に味方して戦ったが敗死し、常盤は三人の子供を連れて逃れて大和に隠れていた。清盛が捜しても見つからず、しかたなく常盤の母親を捕まえた。常盤はこれを聞いて、自分から六波羅の清盛のところに行き、泣きながら、「私と子供は罰されてもいいから、母を助けてください」と懇請した。清盛は常盤を憐れむと同時に、その容色に目を魅かれ、三人の子供を殺すことを赦免した。


 そのとき、清盛の親族は全員「男の子を生かしてはなりません」と反対した。しかし清盛は「既に兄の頼朝も許したのだ。年上の者を生かして、幼い者を殺すのはおかしな話だ」といってその訴えを却下した。清盛は常盤を自分の妾にし、常盤は清盛の子を一人生んだ。その後、清盛の寵愛が衰えて、一条大蔵卿(ふじ)(わらの)(なが)(なり)に嫁いだ。このとき今若、乙若の二人は僧にして、牛若は鞍馬山の僧・(かく)(にち)に預けた。そして名前を(しゃ)()(おう)と改めた。これが義経十一歳のときであった。


 牛若丸は鞍馬山にいるときに諸家の系図を見て、嘆き憂いてこう思った。

「私は源氏の将たるべき生まれなのに、こんなところに落ちぶれている。必ず平家を潰して先祖の恥をそそごう」


 その誓いを果たすべく、昼は本を読み、夜は武技を習った。覚日は牛若に「早く頭を剃りなさい」と再三いったが、牛若は聞かなかった。「二人の兄が僧になったのは私の恥ずべきことだ。どうしてそれにならうことなどできようか」と。覚日は何度も薦めたが、「もしもこれ以上僧になれというのならば、お師匠さんの腹を刺してしまうぞ」と覚日に抵抗した。このあたりが牛若丸の気性の激しいところである。常盤御前はそんな牛若を心配したが、どうすることもできなかった。その頃、京の五条の橋の上で弁慶と相まみえた有名な話がある。牛若の非常な身の軽さを示す話となっているが、弁慶がその後、義経の家来になっているところからして、あながち嘘ではないと思われる。


 ここに砂金売りの吉次という男がいた。

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