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決定版 人物日本史
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歴史
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23 徳川家康……二百五十年以上続く平和の基礎を作った忍耐の人

『決定版 人物日本史』
[著]渡部昇一 [発行]扶桑社


読了目安時間:16分
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自分より優れた相手には決して叛かず、実直に仕えた家康


 徳川家康(一五四三~一六一六)は、若い頃から今川義元のところに人質に行くなど大変苦労をして、ついに忍耐して天下を取ったといわれる。確かに家康は忍耐強いが、ただ忍耐するだけではなくて、己をよく知っていたと思う。と同時に人を見る目があった。


 元来は非常に勇敢な人であって、武田の大軍が上京する途中で自らの領土に侵攻してきたときには勝つ見込みもないのに三方ヶ原で全滅を覚悟して突入しようとした。このときは家康を逃すために家臣の(なつ)()(よし)(のぶ)が無理やり家康の兜と馬を奪い取って、代わりに武田方に突入して戦死したという話も残っている。それぐらい、元来は猛烈な人だったのである。それによって、うちの殿様は武者だという姿を見せて、勇気があることを家臣全員に示していたのである。しかしそれは単なるポーズではなく、本質として非常に勇気があり、血の気が多い人であったように思う。


 この武田との一件のあとは反省したのか、一転して非常に慎重になった。ただ勇猛な姿を一度見せているので、武士たちには舐められることはなかった。「俺たちが駄目だと止めたのに突っ込もうとした。うちの親分は無茶なところがあるぜ」というような感じがあったと思う。


 慎重に振る舞うようになった家康は、自分より優れた者に対しては同盟を結んだり、降参したり、決して無理をしなかった。そして一度降参すれば徹底的に実直に仕えた。たとえば信長に対しても、信長の桶狭間のときの戦場での戦いぶりを、そのとき今川義元のところにいた家康はよく見て知っていたから、「こんな人にはかなわない」という感じを持ったはずである。だから信長と同盟を結ぶと裏切ったりせず、実直に最後まで一緒に戦うのである。信長が浅井長政と相まみえた姉川の戦い(一五七〇)などは、織田軍よりも徳川軍が一番勇敢だったといわれるぐらいの戦いぶりだった。口先だけの同盟ではなく、本当に一所懸命に尽したのである。

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