読みたいトコだけ買える本。
犬耳書店
初めての方へ 記事一覧 無料登録 ログイン

犬耳書店はRenta!へ統合いたします

(2021/11/26 追記)

犬耳書店の作品をRenta!に順次移行します。
詳しくはこちらでご確認いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

0
-2
kiji
0
0
1098599
0
決定版 人物日本史
2
0
0
0
0
0
0
歴史
お気に入りとは?

お気に入りボタンを押すとお気に入りリストにこのページが追加されます。興味のあるページ・気になったページを後から確認するのに便利です。

お気に入り お気に入り
24 山鹿素行……日本こそが「中国」であることを明らかにした江戸の大学者

『決定版 人物日本史』
[著]渡部昇一 [発行]扶桑社


読了目安時間:11分
この記事が役に立った
0
| |
文字サイズ



学問の価値を高め、その名を天下にとどろかせた大学者


 江戸時代の学者には飛び切りの秀才が多数出ているが、(やま)鹿()()(こう)(一六二二~一六八五)はその中でも飛び抜けた秀才であった。生まれは会津だが六歳で江戸に出て、九歳のときに林羅山から朱子学を学び、十五歳で()(ばた)(かん)()()(かげ)(のり)/一五七二~一六六三)から甲州流の兵学を学んでいる。また(ほう)(じょう)(うじ)(なが)(一六〇九~一六七〇)からは北条流の兵法を学んだ。それを基礎として自分の考えた山鹿流の軍学を唱えるのである。それは従来の軍事学に儒教の精神を合わせて、武士の道徳、士道を唱えたものであった。


 朱子学や軍学以外に神道なども学び、たちまちマスターしてしまった。仏教であれば(はっ)(しゅう)(けん)(がく)というところだが、神道のさまざまな流派まで研究して、二十歳くらいになると天下に知られた学者になるのである。


 徳川時代には戦争がなくなったため、参勤交代で江戸にやってきた大名たちが江戸城に集まったときに、郷土の自慢話をし合った。そして、主な自慢の対象となるのは「自分の藩にはこういう学者がいる」ということであった。学問好きな家康の影響が各藩にも及び、江戸時代は学問の時代になるのである。


 そういうわけで、各地の大名は優秀な学者を自分の藩に(しょう)(へい)することに熱心だった。

この記事は役に立ちましたか?

役に立った
0
残り:4760文字/本文:5373文字
この記事を買った人はこれも買っています
      この記事を収録している本
      この本で最も売れている記事
      レビューを書くレビューを書く

      レビューを書いてポイントゲット!【詳細はこちら】

      この本の目次