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決定版 人物日本史
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歴史
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27 吉田松陰……幕末の若者たちを発奮させた感化力の原点にあった圧倒的な情報量

『決定版 人物日本史』
[著]渡部昇一 [発行]扶桑社


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わずか三十歳で世を去った吉田松陰


 徳富蘇峰に『吉田松陰』という本がある。これは明治二十六年(一八九三)初版だから、日清戦争(一八九四~一八九五)がはじまる前に書かれたことになる。吉田松陰伝としては最初の頃のものであるが、ずっと改訂を続けて私が持っているのは昭和十年発行のものである。この本によると、日清以前の人で吉田松陰(一八三〇~一八五九)を知っている人に風貌を聞いたところ、「(たん)()()(こつ)、枯皮瘠肉、衣に()えざるが如く」、つまり身長が低くて痩せて骨が出て、着物を着ることができるのかというような細い人であったという。また、あばた顔で、額は広く、顎が尖って、眉はつり上がって、両頬の下が尖っていた。鼻が高くて口は引き締まり、目は細いけれども瞳が深く、(がん)(こう)(けい)(けい)として火のようだった。そして、人に対してはいつでも率直であって、見栄を張るようなところはなかったが、圧するような感じがしたというのである。


 吉田松陰の影響力は松下村塾を通じて明治維新の中心になったような人を数多く輩出し、現代の安倍晋三首相まで及んでいるといってもいいだろうが、彼の年表を見ると、なんと活躍した時間が短かったかと思う。わずか三十歳で死刑になっている。()(えい)四年(一八五一)に江戸に出て()()()(しょう)(ざん)(一八一一~一八六四)に学んでいる。同年十二月、二十二歳のときに友人の(みや)()(てい)(ぞう)(一八二〇~一八六四)らと東北旅行を計画するが、出発予定日までに長州藩から過書手形(通行手形)が出ず、そのまま出発してしまったために脱藩扱いされ、翌年江戸に戻ってきたあとで罪に問われた。それ以後はしょっちゅう問題を起こして、藩の牢獄に入ったり江戸の牢獄に入ったりしている。松下村塾を開いたのは二十七歳のときだから、松陰が教えたのはわずか二年くらいのものである。それを考えると、その影響力は信じがたいほどである。


 嘉永七年(一八五四)、日米和親条約の締結のために日本に来ていたペリーの旗艦ポーハタン号に(かね)()(しげ)()(すけ)(一八三一~一八五五)と共に乗り込んで密航しようとしたが果たせず、伝馬町牢屋敷に投獄された。その後、長州に護送されて野山獄に入れられた。安政二年(一八五五)に出獄するが、(ちっ)(きょ)を命ぜられる。

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