取材を通じて実感したのは、時の流れの速さだ。
およそ60年前の、野球選手時代の馬場正平を知る人は思いのほか少なかった。
学生時代の馬場の同級生や先輩、後輩の中にも物故した人が多かった。
本文にも書いたが、馬場の郷里三条市は馬場の没後5年目に起こった7・13大水害によって甚大な被害をこうむった。
馬場の実家があった地域も大きな被害を受けた。取材をした町の人々の中にも、このときに写真アルバムなどを逸失した人も多かった。
ある女性は「あれ以後、アルバムや貴重品は、天井近くのいちばん高い戸袋に入れるようにしています」と話した。馬場が通った小学校、中学校の被害も大きく、当時の学校関連の資料はあらかた失われていた。
そして校舎も移転、統合され、馬場が通った学校自体もなくなった。
私の実力不足で、取材も思うようにははかどらなかった。馬場が1年半通った高校からは取材を拒否された。当時の巨人二軍を知るジャーナリストにも断られた。ぶしつけな依頼をしたものだと思っても後の祭りだった。
さらに、残念ながら、取材をしても、材料にならないものも多かった。
馬場正平の地方での二軍戦を見た人に何人か話を聞いた。当時の二軍戦のありさまや、馬場のプレーぶりが聞けるかと期待したのだが、人々は異口同音に馬場正平の巨大さを語った。
「他の選手は馬場の胸までしかなかった」
「まるで二階から投げているようだった」
この本の取材を進めるうちに、馬場の「巨大さ」そのものは、重要な要素ではなくなっていたので、私はこの手の取材を途中で断念した。
そして馬場の外形的な特徴の向こうにある本質、彼の人柄や心の動きなどを知る人を探すことにした。
馬場がモルモン教徒であることを知っていたので、三条市のモルモン教会に連絡したところ、若い外国人が片言で「その話、聞いたことある。ババを知っている年寄り、いる」と言ったのを手掛かりに、若いころの馬場正平を知る前田夫妻を紹介してもらった。これが大きかった。
モルモン教の仲間は、家業の青果商として多忙な日々を送る馬場家を補完するように、馬場をコミュニティに招き入れた。馬場はモルモン教の仲間に囲まれて、多感な青春時代を送ったのだ。
この取材の最後に新潟県三条を三訪したとき、前田豊実さんは、「正ちゃんにも作ってあげたやきそば」を作ってくれた。それは私の母もよく作ってくれた素朴で優しい味のやきそばだった。そのやきそばで馬場正平とつながったような気がした。
さらに東京にあるモルモン教本部では、モルモン教アジア北広報部長の関口治氏から、当時の日本におけるモルモン教の状況などを聞いた。そして何より、馬場正平をモルモン教に導いた宣教師・デビッド池上氏の存在を知ることができた。
馬場正平の姉の姪の幸子さんに話が聞けたのも幸いだった。馬場の姉のヨシさんは90歳。幸子さんが代わって答えてくれたが、面倒な質問にも丁寧に応じてくださった。
巨人時代以降の話は、野球史家・松井正さんの研究によるところが大きい。
彼は国立国会図書館に通い、古書を買い集めて当時のプロ野球二軍の記録を再構築している。これは日本プロ野球機構も含め、どこもやっていないことだ。これによって、戦後プロ野球の知られざる一面が明らかになろうとしている。
馬場の二軍記録は、まるごと松井さんの研究を使わせてもらった。彼は私の厚かましい依頼を快諾してくれた。
この本を書くにあたって、尊敬するノンフィクション作家の長谷川晶一さんにはまだ一字も書かないうちから相談に乗ってもらった。速いペースでウィスキーグラスを傾けながら、長谷川さんはどこまでも冷静にアドバイスをしてくれるのだった。
また私淑する報知新聞・蛭間豊章記者には、取材のあっせんや、写真の手配もお願いした。いつもながらお世話になりっぱなしである。
讀賣巨人軍広報部の江里口春美さんには、ご多忙中にもかかわらず巨人軍OBに取り次いでいただいた。
巨人OB各位、なかでも加藤克巳さんと小松俊広さんには貴重なお時間を賜った。
また今や日本球界の至宝というべき杉下茂さんに長時間話を聞くことができたのは、幸せなことだった。杉下さんは「週刊ポスト」の鵜飼克郎さんにご紹介いただいた。感謝。
日本の脳神経外科の最高権威である東京労災病院の寺本明院長には、多忙な中を縫ってお時間を賜った。素人の稚拙な質問にも丁寧にお答えくださった。さらに、馬場正平の下垂体腫瘍除去の手術日についても確認いただいた。
こういう方々のご厚意、ご協力があってこの本は成った。深く御礼を申し上げたい。
この本の企画を見るなり「やりましょう!」と言ってくれた編集者・圓尾公佑さんは、たびたびの原稿遅延に対しても激高することなく待ってくれた。いつもながらありがとうございました。
調査を進める過程で、馬場の自伝とは大きく異なる事実がいくつも出てきた。馬場の正史はこれによって書き換えられると思われる。しかし、馬場正平が残した言葉は、些末な事実関係を越えて後世に残るものと考える。
私は大阪府立体育館の周辺などで馬場正平を何度か見かけたことがある。
肩から上を雑踏から突出させた馬場正平は、テレビで見るよりはるかに大きかった。悠揚迫らず歩く様子は一種の風格があった。
一言でいえば「夢のように大きい」人だった。
今、その巨体は「時間」という帳の向こうにゆらゆらと消えて行こうとしているが、そのよすがでも感じていただければ、これに勝る幸せはない。
2015年9月30日
広尾 晃