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封印された鉄道史
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Episode:01 【国鉄職員も知らない!? 完全極秘の現金輸送列車】国鉄最大のタブー「マニ30」

『封印された鉄道史』
[著]小川裕夫 [発行]彩図社


読了目安時間:5分
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 本書は「封印された鉄道史」というタイトルがつけられているが、鉄道業界において最大のタブーといわれるのが、マニ30形(通称:マニ30)だろう。なにせ、マニ30は改良を施されてマニ34となったものも含めて12両存在したといわれるが、その存在は鉄道雑誌でも取り上げられることはなかった。


 マニ30は国鉄に籍を置きつつも、日本銀行が所有する車両だった。日本銀行所有と聞けば輸送しているものが人ではなく、石油や石炭といった通常の貨物でもないことはすぐにわかるだろう。そう、マニ30が運んでいたのは日本銀行券、すなわちマニ30は現金輸送列車だったのである。


 現金を大量に運ぶという性質上、マニ30の車両内部は極めて特殊な構造になっていた。1両が3つの部屋にわかれており、現金を置く荷物室は車両の両端にあった。この荷物室には東京で印刷された紙幣を積み込むわけだが、一度に数百億円を運べるほどのスペースが確保されていた。荷物室に挟まれた真ん中の部屋には警備員が常駐する添乗室があり、一度任務に就くと長時間車両の外に出ることが許されない警備員用に炊事ができるミニキッチン、テーブルなどが配置された居住室もあった。


 また、襲撃に備えて窓には厚さ18ミリの防弾ガラスが装備されており、いつでも外部と連絡がとれるように無線機も配備されていた。さらに非常事態を知らせるサイレン、監視カメラもあり、カメラの映像は別の車両にある車掌室で見ることができるようになっていた。それほど警戒設備は幾重にも張り巡らされていたのだ。


 ちなみに、マニ30のマニとは「MONEY」の略と紹介している鉄道雑学本もあるが、マは重量(42・5トン以上47・5トン未満)を表し、ニは荷物車という意味になっている。つまり、「マニ」は重い荷物を運ぶ車両ということになる。


 現金輸送という使命ゆえにタブーとなったマニ30だが、実は最初からタブーだったわけではなかった。


 たとえば、昭和40年(1965年)に誠文堂新光社から発行された『客車・貨車ガイドブック』、41年に国鉄から発行された『客車形式図』、46年に朝日新聞社から発行された『世界の鉄道』などにはマニ30の車両図面や写真などが掲載されている。比較的、情報管理がおおらかな時代だったせいもあるだろう。鉄道友の会が発行する『RAIL FAN』では、53年に新造されたマニ30がブルーリボン賞にノミネートされるなど、鉄道マニアの間ではそれなりに知られた存在だった。


 ところが安全な運行の優先が絶対視されるようになると、マニ30は次第にタブー化し、国鉄の秘密の中に埋没してしまう。


 昭和53年(1978年)、それまでマニ30の存在を大っぴらに認めていた国鉄が突然、自社で発行している『客車形式図』からマニ30の姿を消す。その後も国鉄は沈黙を守り通し、情報を隠蔽することに専念した。もちろん、マニ30がどういったルートを走り、どこで荷物を積み込むのかといったことも極秘事項だった。


 しかし、日本銀行券を印刷する大蔵省印刷局(現・独立行政法人国立印刷局)の工場は東京都北区滝野川・神奈川県小田原市・滋賀県彦根市・岡山県岡山市と全国にも4ヶ所しかない。当然、刷り上がった紙幣はできるだけ人の目に触れないように積み込んだはずである。となれば、工場から近い場所までは自動車で運ばれたに違いない。


 滝野川の周辺を地図で見てみると、尾久操車場や南千住駅に併設されている貨物駅・隅田川駅が目に入ってくる。推測に頼らざるを得ないが、恐らく印刷された紙幣は、このあたりで積み込まれて全国に輸送されていったのだろう。


 国鉄が情報統制を敷き始め、マニ30についての情報が一切漏れなくなって数年、鉄道ファンの間でも「マニ30はタブーである」といった噂がひとり歩きするようになる。国鉄がマニ30を隠すのだから、当然雑誌などは取材させてもらえない。鉄道雑誌に載ることもなくなり、鉄道ファンの記憶からマニ30は消えた。


 ネコ・パブリッシングの月刊誌『Rail Magazine』の名取編集長が、マニ30についてのエピソードをブログで披露している。それによれば、名取編集長はマニ30の模型を自作し、その写真と図面を誌面に掲載した。すると、国鉄から呼び出しを食らい、「なぜ、マニ30を載せたのだ」と叱られたという。


 同じく鉄道専門誌『とれいん』の編集長も「マニ30が併結列車の列車番号や運転日の記録を、系統立てて発表するのは勘弁願いたい」と国鉄関係者から言われたことがあると披瀝している。


 鉄道雑誌にとって国鉄は絶対的な存在で逆らうことは許されない。その意向を無視してマニ30の秘密に触れようものなら、今後国鉄は取材を受け付けなくなる。国鉄の取材が不可能になれば、鉄道雑誌としては死刑宣告されたことに等しい。こうしてタブー化されたマニ30は、国鉄職員でさえいつ走っているのかわからない存在になった。運行時間・ルートは完全なトップシークレットで、マニ30の情報を知っているのは一部の幹部だけだったという。


 2003年に役目を終えたマニ30は一両を残して廃車になった。残った一両は北海道小樽市総合博物館に寄贈された。常時公開ではないにしろ、今まで噂としてしか語られることがなかったマニ30が、ようやく一般にも公開されることになったのである。

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