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封印された鉄道史
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Episode:30 【鉄道で運ばれる兵士、武器、物資】戦争が鉄道を発達させた

『封印された鉄道史』
[著]小川裕夫 [発行]彩図社


読了目安時間:3分
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 明治5年(1872年)に新橋~横浜間で開業した鉄道は、2年後に大阪~神戸間でも開業する。その後、資金不足に陥った明治政府は鉄道建設をいったんストップさせる。


 ところが実質の官営企業だった日本鉄道が、上野~高崎間(現・高崎線)と赤羽~新宿を経由して品川にいたる現在の山手線と埼京線のルートを開業させたことで状況は一変した。生糸の産地からほど近い高崎から一大消費地である東京、そして貿易の基点となっていた横浜を結んだ路線は、明治政府が推し進める「殖産興業」に大きく寄与したのである。


 それまで、日本政府は軍部の意向を汲んで、鉄道路線は外国に狙い撃ちされやすい海沿いではなく、山間ルートに建設しようと構想していた。山間ルートは急勾配やカーブが多くなり建設費は平野に敷設するのと比べても高くつく。それでも、軍部の意向は絶対だった。


 もともと、軍部が鉄道の力に着目したのは明治10年(1877年)の西南戦争に勝利したことがきっかけだった。鹿児島で挙兵した西郷隆盛を討伐する政府軍を、東京から迅速に差し向けることができたのは鉄道による高速移動が可能になったことが大きい。


 この鉄道の力に着目した新政府は、きたる清国との戦争を早くも睨んでおり、そのためにも輸送のスピードを上げる鉄道は作戦上、必要不可欠と主張した。その一方で莫大な建設費を賄うためにも、平時には国家に利益をもたらすものでなければならなかった。


 日本の鉄道の父といわれる井上勝はイギリスに留学して鉄道を学び、日本の鉄道開業に尽力した功績者だが、井上が見たイギリスの鉄道は殖産興業の役割が強かった。実質官営だった日本鉄道は、建前は民間会社で、その経営陣には井上の名前もあった。井上は鉄道はあくまで殖産興業のための手段であり、決して軍事利用するものではないと主張した。


 井上と軍部の主張は対立していたが、殖産興業としての鉄道の役割が注目されるようになると、軍部も早急に鉄道網を整備することを決め、幹線から鉄道建設が開始していった。明治25年(1892年)には軍部による後押しもあって「鉄道敷設法」が成立し、各地方都市で鉄道建設が盛んに行われた。


 全国に鉄道網が整備されるようになると、物流は格段に効率化・スピード化した。それでも、軍部の鉄道を敷設する主目的は、軍事利用であることに変わりはなかった。日清戦争・日露戦争時には一般旅客列車はほとんどなくなり、鉄道をフル稼働させて兵士を戦場へと輸送した。


 日露戦争後には鉄道はさらに軍事色を増す。旅客列車の運行の合間に軍用列車を走らせるのではなく、まず軍用列車ありきのダイヤが作成されるようになった。そのため、ダイヤグラムは国家機密文書扱いとなり、ダイヤ改正時には参謀本部が立ち会って決めることになった。


 さらに明治39年(1906年)に「鉄道国有法」が成立。同法が発布された当時のダイヤには、軍用列車を運行することが織り込まれていた。日中戦争時も軍部は鉄道を最大限に利用して勝利を手にしているが、太平洋戦争時も燃料輸送に鉄道をフル活用している。


 現在、環境問題、高齢化社会にともなうバリアフリー問題など福祉・環境分野で再び鉄道に注目が集まっている。鉄道が今日まで発達したのは、そうした平和利用の趣旨とはまったく逆の戦争によるものだったことは、なんとも皮肉な話である。

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