読みたいトコだけ買える本。
犬耳書店
初めての方へ 記事一覧 無料登録 ログイン
0
-1
kiji
0
1
1101478
0
歴史の授業で教えない 大日本帝国の謎
2
0
0
0
0
0
0
歴史
お気に入りとは?

お気に入りボタンを押すとお気に入りリストにこのページが追加されます。興味のあるページ・気になったページを後から確認するのに便利です。

お気に入り お気に入り
【ライフスタイル】デパート、サラリーマン……、現代型ライフスタイルはすでに健在?

『歴史の授業で教えない 大日本帝国の謎』
[著]小神野真弘 [発行]彩図社


読了目安時間:6分
この記事が役に立った
0
| |
文字サイズ



おしゃれで華麗なモガとモボ



 現在の東京のイメージを外国人に尋ねると、「都会的」「流行やサブカルの発信地」などの答えが返ってくるという。


 では大日本帝国時代の東京のイメージは、となると日本人でも答えが分かれそうだ。日本男児や(やま)()(なでし)()(かっ)()し、古風で堅実な生活が送られていたのだろうか。


 だが、意外とそんなことはない。大正時代の東京には大衆文化を象徴する存在として、モダンガールとモダンボーイ、通称モガ・モボがいた。彼らはファッションリーダーのようなもので、その服装は今から見てもとても大胆だ。


 モガは耳が隠れるくらいのショートカットが特徴で、真っ赤な口紅を塗り、当時としては極めて大胆な膝丈のスカートとハイヒールを着用。派手な花柄やチェックの衣服が好まれた。


 モボはシャツとセーラーズボン(水兵が穿く裾が広いズボン)を着こなし、カンカン帽子をかぶり、ステッキをもつのがトレードマーク。


 銀座や心斎橋などの盛り場には、こんな華やかな装いの人々がそぞろ歩いていたのである。


 モボはともかく、戦前は男尊女卑が根深かったので当時の女性にとってモガ風のファッションは非常に勇気が必要だった。


 長い黒髪は古くから女性の象徴とされ、切らずに結い上げるのが伝統だったため、特にショートカットには風当たりが強かったようだ。


 ショートカットの元祖は、読売新聞社の記者・(もち)(づき)()()()といわれるが、彼女が髪を切った際は、人々から「見世物小屋の猿を見るような」視線が寄せられたという。さらにはショートにした生徒が退学になった女学校もあった。


 現代の女性のおしゃれは、約100年前の女性たちの勇気が切り開いたのである。


デパートが娯楽の殿堂?



 ショッピングの様子はどうだったのだろう。


 明治時代前半までの小売店は、江戸時代の流れを引き継ぎ、着物なら着物、履物なら履物と、ひとつのジャンルを専門に扱う店ばかりで、売り買いの様子も現在とは大きく違った。


 まず、商品が陳列されていない。客は店員に欲しいものを伝え、店員が奥から商品をもってくるというシステムで、値札も存在せず、常連客か一見の客かで値段が変わることもあった。


 この風潮を変えたのが、1890年代から次々と開店した三越、松坂屋などのデパートだ。


 バラエティ豊かな商品が陳列され、値札もしっかりつけられたデパートは、日常の買い物を娯楽に変えた。


 当初は土足厳禁だったりと、現代との違いが目立ったが、1935年頃の三越を見てみると、エスカレーターやエレベーターがあり、レストランや劇場、屋上には庭園などの娯楽設備も用意されるなど、現在とほとんど同じ。


 31年の時点で全国の10万人以上が暮らす30の都市のうち、24には大規模なデパートがあり、週末は家族連れでとても賑わったという。


 現在は郊外のアウトレットモールなどの強力なライバルが登場しているものの、一昔前まで「週末に家族でデパート」は王道ともいえる娯楽だった。こうしたライフスタイルは、戦前にはすでに根付いていたのである。



当時から離婚大国だった日本



 戦前日本といえば恋愛に関してお固いというイメージがあるが、当時のマスコミが男女交際を盛んに推奨していたと聞いたら驚くだろうか。


 1887(明治20年)の女性誌「女学雑誌」は「結婚前に恋愛をすべき」という記事を掲載。同年の「時事新報」には「接吻の習慣を起すべきである」と、なんとキスを推奨しているのだ。


 実は、明治時代の婚姻はほとんどがお見合い結婚で、農村などでは、親同士が勝手に結婚を決めるケースが多々あった。


 恋愛せずに結婚なんて、と思うかもしれないが、当時の結婚は「家に労働力を補充する」という側面が強かったのである。


 そのような背景があったため、配偶者が気に入らなければすぐに追い出すということが多発し、離婚の増加が深刻な問題になった。


 また、結婚相手をよく知らないため、性格の不一致からの離婚も多かったという。


 1883年の人口1000人あたりの離婚件数(離婚率)は3・39。2012年は1・87だ。3・39という数字は当時の外国と比べても非常に多く、日本は世界有数の離婚大国だったのだ。


 当時のマスコミが恋愛を推奨したのは、結婚前に相手と人間関係を築いたり、相性を確認したりして離婚率を減らす狙いがあった


 こうした状況が改善されたのは1898年。民法が施行され、25歳未満の者の離婚には、双方の親の承認が必要になり、離婚率は減少した。


 けれど、その反動なのか、結婚相手の収入などを吟味するようになり、昭和になると晩婚化が進行した。戦前の結婚も、意外な問題を抱えていたのである。


意外な戦前のエリート職業



 さて、ファッションや娯楽、恋愛事情をみてきたが、職業にはどんな特徴があったのだろう。


 明治時代以降、多彩な企業が登場し、職業の種類も豊富になってきた。そんな中、最ももてはやされた職業は、意外なことに企業の増加とともに登場し始めたサラリーマンだった。


 現在でこそありふれた職業で、「夢はサラリーマン」と語る若者は少ないかもしれない。が、当時のサラリーマンは現在とはかなり違った。


 戦前は農業人口が非常に多く、1930年の国勢調査では、職業人口におけるサラリーマンの割合は約7。大学や専門学校を卒業した者が就く、一握りのエリート職だったのだ。


 そのため給料も非常によかった。1929年ごろの一世帯の平均年収は800円程度だったが、大企業の課長クラスの年収は約1万円。現在の感覚で年収5000万円くらいになる。


 だからこそ、サラリーマンはよくモテた。1927年の結婚紹介所の調査によると、女性が結婚したい職業は、現在も人気の医師が3位、公務員が2位ときて、サラリーマン・銀行員が1位だったのである。


 ちなみに月給で生活をしていた点では軍人も同様だったが、高級士官を除けば彼らは非常に貧乏だった。

「貧乏少尉、やり繰り中尉、やっとこ大尉」という言葉があり、大尉になってようやく人並みの生活ができるという有り様。


 大尉といえば軍の中堅ポジション。それでも裏長屋に暮らしていたり、ツケの催促を居留守で誤魔化したりする家庭もあったという。


 戦前は軍人が我が物顔で練り歩いていたイメージがあるが、意外と苦労人だったのである。



この記事は役に立ちましたか?

役に立った
0
残り:0文字/本文:2612文字
この記事を買った人はこれも買っています
      この記事を収録している本
      この本で最も売れている記事
      レビューを書くレビューを書く

      レビューを書いてポイントゲット!【詳細はこちら】

      この本の目次