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プロ野球 最強のエースは誰か?
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エンタメ
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投手王国から野村再生工場の時代へ

『プロ野球 最強のエースは誰か?』
[著]野村克也 [発行]彩図社


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 かつての南海はパ・リーグ屈指の名門球団だった。セ・パ2リーグ制がスタートした1950年から20年間でリーグ優勝が9回、日本シリーズ制覇が2回。リーグ3連覇も2回ある。この好成績は数多くの好投手によって支えられた。


 初期のエースがサウスポーの()()(すすむ)さんである。抜群の制球力で、20勝は1度もないが、19勝を4度記録している。1952年は19勝7敗、防御率1・91でMVPにも輝いた。


 私と同期で、私が二軍でくすぶっている間に凄まじい活躍を見せたのが(たく)()(もと)()である。1954年、剛速球と縦のカーブを武器に高卒ルーキーがいきなり26勝9敗、防御率1・58、275奪三振を記録し、最多勝、最優秀防御率、奪三振王、新人王を獲得した。この年、南海は終盤に18連勝を含む26勝1敗という猛烈なペースで首位の西鉄を追い上げ、わずか0・5ゲーム届かなかったが、この間、宅和は10勝を挙げている。


 翌年も宅和は24勝で最多勝。しかし、3年目以降は6勝しかしていない。酷使に原因があるのは明らかだ。力のある投手、調子のいい投手はどんどん使うのが当時の野球だったとはいえ、日本シリーズ4連投4連勝の杉浦忠を筆頭に、鶴岡一人監督がつぶしてしまった投手は多い。


 1950年代後半からの南海黄金期を支えたのはその杉浦、皆川睦雄、スタンカといった球界を代表する屈指の好投手たちだった。


 しかし、私が兼任監督に就任した1970年、投手の人材は払底していた。やむなく他球団から()(もと)(たけ)(のり)、山内新一、松原明夫、江夏豊といった投手をトレードで獲得し、眠っていた才能を開花させることを試みた。野村再生工場をフル稼働せざるを得なかったのである。当時のドラフト1位選手で思い出すのは佐藤道郎だ。「モーションは160キロ、来る球は130キロ」とも言われたボールの遅さと度胸で、2度の最優秀防御率に輝いている。


 1989年に身売りし、ダイエー、ソフトバンクと資金力のある企業が親会社となって以後は、次々と有力投手をドラフトやトレードで獲得し、育成していく。ローテーション投手としての安定感と貢献度の高さでは和田毅、杉内俊哉の両左腕。ともにチームを去ったが、通算100勝以上を挙げている。和田の球の出どころの分かりづらい投球スタイルは技巧派ならではの魅力があり、メジャーリーグでも十分通用すると思うのだが。


 惜しかったのは斉藤和己だ。192センチの長身から投げ下ろす150キロ超えのストレートと高速フォークは日本人離れした能力を感じさせた。度重なるケガでコンスタントに活躍できなかったのが残念だ。2006年、日本ハムとのプレーオフの際、0対1で惜敗し、マウンドで泣き崩れる姿が印象に残っている。

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