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お江と徳川秀忠101の謎
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歴史
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Q21 お市の方が柴田勝家と再婚した理由と時期は?

『お江と徳川秀忠101の謎』
[著]川口素生 [発行]PHP研究所


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 天正(てんしよう)元年(一五七三)、夫の浅井長政(あざいながまさ)近江小谷(おうみおだに)城(滋賀県長浜市)で自刃(じじん)して以降、お市の方は夫の供養(くよう)、お江ら三姉妹の養育に明け暮れる日々を送ったようです。かつて、長政と兄(異説あり)の織田信長との同盟をより強固なものとするべく、輿入(こしい)れしたお市の方でしたが、以後は誰もが一時的にその存在を忘れてしまっていたことでしょう。

 無論、紀伊高野山(きいこうやさん)(和歌山県高野町)の持明院(じみよういん)所蔵の画像(肖像画)でも明らかなように、お市の方は戦国時代を代表する美人でした。各方面から再婚話が持ち込まれたかも知れません。

 さて、そんなお市の方の存在が、天正十年になって再びクローズアップされます。それは、次のような理由によるものでした。同年六月の本能寺(ほんのうじ)の変で信長が自刃し、信長の後継者の座をめぐって次男の織田信雄(のぶかつ)、三男の神戸信孝(かんべのぶたか)宿老(しゆくろう)の柴田勝家(かついえ)羽柴(はしば)(豊臣)秀吉らが角逐(かくちく)を重ねました。やがて、勝家が信孝と同盟し、秀吉は同じく宿老の池田恒興(つねおき)丹羽長秀(にわながひで)らと同盟し、さらに信雄が秀吉を支持するという状況の(もと)で、お市の方の処遇が重要視されるにいたります。

 先に触れた通り、お市の方は信長の妹で、近江(滋賀県)北部を領地としていた長政の後室(こうしつ)(未亡人)でした。そのお市の方を政略結婚の道具として用いることを最初に考え付いたのは、美濃(みの)岐阜城(岐阜市)主であった信孝です。

 信長の後継者を目指していた信孝は、勝家との同盟をより強固なものとするには、お市の方を勝家の正室として送り込むのが一番と判断したのでした。お市の方がこの縁談に乗り気だったか否かは不明ですが、秀吉が増長し、実家である織田家の一族が没落するのを黙視(もくし)出来なかったのでしょう。信長の後継者をめぐって開催された六月二十七日の「清洲(きよす)会議」の頃までには、お市の方が勝家のもとへ嫁ぐことが決まっていたようです。

 その「清洲会議」では信長の嫡孫(ちやくそん)・織田秀信(のぶひで)三法師(さんぽうし))が名目上の後継者となり、秀吉が実質的な信長の後継者となりました。また、信長の旧領(きゆうりよう)の分配の面では、越前北(えちぜんきた)(しよう)城(福井市)主であった勝家は近江北部を、信孝は岐阜城を獲得します。

 このうち、勝家が獲得した近江北部は天正元年までは長政の領地で、それ以後は長く秀吉が支配していました。近江北部への進出を目指していた勝家は、信長の妹であり、長政の後室でもあるお市の方を、()()でも正室に迎えたかったに違いありません。

 そういった勝家と信孝との思惑が一致したことから、「清洲会議」後の早い時期に、お市の方は勝家のもとへ輿入れしました。ちなみに、信孝の強い希望に沿ったのでしょう。勝家とお市の方との祝言(しゆうげん)(婚礼)は、岐阜城内で挙行されています。


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