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江戸東京の寺社609を歩く 下町・東郊編
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旅行
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[4]浅草寺を中心にその周辺を歩く……台東区

『江戸東京の寺社609を歩く 下町・東郊編』
[監修]山折哲雄 [著]槇野修 [発行]PHP研究所


読了目安時間:24分
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 日本人の血脈を感じる街  「浅草は萬人の浅草である。ここは人間の市場である。生きてゐる東京の見本である。歓楽の百貨店である」

 川端康成は昭和五年にこう書いた(『現代』四月号の「浅草活動街」)。
「浅草もの」とよばれる川端康成の短中編があって、そのなかの代表作が、浅草にあつまる不良少年少女を題材にした「浅草紅団」で、これは昭和四年十二月十二日から翌五年二月十六日のあいだ東京朝日新聞夕刊に掲載された。

 その「水族館」の章に、明治から昭和にかけて活躍した演歌師で詩人の添田(そえだあぜんぼう)の感懐を、
「浅草は萬人の浅草である。浅草には、あらゆるものが(なま)のままふりだされている。人間のいろんな欲望が、裸のまま踊っている。あらゆる階級、人種をごった混ぜにした大きな流れ。明けても暮れても果しのない、底の知れない流れである。浅草は生きている」

 と引いて、また、作中の「私」にたいして不良少女の弓子に、「まあ、あんたなんぞ、浅草の醜いどん底は分りっこないわ」といわせている。

 武田麟太郎も、「浅草について語り出すときりがない。浅草は無尽蔵だからだ」といい、谷崎潤一郎も、浅草は何十何百種の要素が絶えず激しく流動し醗酵しつつあることが特徴で、その蠢動(しゆんどう)を軽蔑する者は民衆を軽蔑するのである、という。

 川端らが書いたのは昭和五年ころのことだから、当時、たんなる売春地帯となっていた吉原を北にひかえ、貧民街もあって、現代の浅草とくらべるわけにはいかないものの、「あらゆる世相がこれほど露骨に、また複雑に渦巻いてゐる一角は、日本全土に二つとあるまい」(『読売新聞』昭和五年一月十八、二十日)という川端の観察はそのままいまの浅草にもあてはまる。

 地下鉄の浅草駅からでも、東武鉄道の駅からでも雷門へ歩いてみるといい。あらゆる年齢のあらゆる外見の男女が、国籍もまちまちに雑踏して、いったいなにが目的なのか、真摯(しんし)な観音参りか観光か飲み食いか買い物か、傍目(はため)には判然としないようすで、ぶらりぶらりとしている。

 つまり浅草には「聖と俗」あわせて、なんでもあるのだ。昼から赤い顔をしていてもここではあたりまえのこととみられる。浅草にきて、銀座を歩くように取り澄ましていてもしかたがないわけで、清濁あわせのむ日本人の血脈をみずから感じざるをえない街なのだから。

 寺社名や地名の読み  ご存知の方は、なにをいまさらとおっしゃるだろうが、

 浅草(あさくさ)にある「浅草寺(せんそうじ)」と読む。

 しかし、この寺は、浅草(あさくさ)観音(浅草の観音さん)といわれ、境内に建つ鎮守社は浅草(あさくさ)神社(三社(さんじや)さま)と呼ぶ。寺名だけが音読されるのだ。


 アサクサデラではなにかモタついて、字音で読んだほうが尊い感じがするのだろう。ちなみに、京都の清水寺は、セイスイジともいうと辞書にあるが、やはりキヨミズデラがなじみ深い。
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