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江戸東京の寺社609を歩く 下町・東郊編
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旅行
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[12]墨堤を北へ、鐘ヶ淵まで歩く……墨田区

『江戸東京の寺社609を歩く 下町・東郊編』
[監修]山折哲雄 [著]槇野修 [発行]PHP研究所


読了目安時間:14分
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 前項まで隅田川七福神のうち、三囲神社(大国神・恵比寿神)と弘福寺(布袋尊)と長命寺(弁財天)と歩いてきた。さらに長命寺から秋葉神社へ寄った。

 つづいて、向島百花園、白鬚神社、多聞寺と歩く。元気な方は前コースから歩き通してもいいけれど、長命寺から多聞寺まではかなりの距離がある。ほかに寄らずに約二・七もある。そのため本書では二分割したコースづくりとなった。
「風のように踊り 花のように恋し 水のように流れる」と、木の実ナナさんの歌碑(長命寺)をメモにとって、墨堤にあがると植桜の碑がたっているので、その歴史をゆっくり読んでみた。

 墨堤の桜は、はじめ四代将軍家綱のときに植栽がおこなわれ、享保二年(一七一七)八代将軍吉宗が一〇〇本、同十一年には桜のほか桃や柳も各一五〇本を植えた。文化年間には地元の文化人らが一五〇本、天保期には名主らが二〇〇本余を植栽して桜は(すい)神社(隅田川神社)からどんどん南へのびていった。

 弘化三年(一八四六)の洪水で堤が決壊して、桜は大きな痛手をこうむるが、宇田川総兵衛という人物が独力で堤を修築した。それを顕彰して村人が一五〇本、名主阪田三七郎が二〇〇株とふたたび植桜がはじまった。長命寺から三囲神社、さらに枕橋(まくらばし)まで墨堤の桜がつづいたのは一八八〇年ころといわれ、「桜勧請」による地元の人びとの支援も(あつ)いものがあった。明治以降は、成島柳北(なるしまりゆうほく)や財界人の大倉喜八郎、安田善次郎、川崎八右衛門らの出資により村人たちが協力して完成をみたのである。


 長命寺から墨堤通りにでると、角に隅田公園少年野球場が一面あって、これは昭和二十四年に日本で最初にできた少年野球場で、王貞治氏もこのグラウンドで練習したという。
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