『絶対に足を踏み入れてはならない 日本の禁断の土地』
[編]歴史ミステリー研究会
[発行]彩図社
昔から続く参拝の地
「お伊勢いきたや、伊勢路がみたい、せめて一生に一度でも」という伊勢音頭が流行したのは江戸時代のことだ。
当然ながら、当時の人々は日本全国から三重県の伊勢まで徒歩で参拝した。
大阪からは片道5日、東京ならば15日、岩手からになると100日もかかったというから、当時の人々にとってお伊勢参りは大イベントだったにちがいない。
しかし彼らは、何重にも囲われた垣根の外からしか肝心の神様に参拝できなかった。
じつは、伊勢神宮には皇族でも入れないと噂される、禁断の場所があるのだ。
現在でもそれは変わらず、「正宮」と呼ばれる社には、一般の人は入ることはもちろん、中を見ることもできないのである。
厳重に守られた神聖な場所
伊勢神宮とは、太陽を神格化した天照大神を祀る内宮と、衣食住の守り神である豊受大神を祀る外宮の総称で、正式には「神宮」という。内宮・外宮の両方にあって、それぞれの神様が祀られているのが、問題の正宮だ。
外側から板垣、外玉垣、内玉垣、瑞垣という四重の垣根に囲まれ、板垣の南北の両門内には宿衛屋があり、神職が交代で1日中神様を守っている。
そして、一番内側の瑞垣の聖域が「内院」といい、どこよりも神聖な一画とされている。ここに「ご正殿」がある。
内宮のご正殿には天照大神が、外宮のご正殿には豊受大神が鎮座しており、皇族でも入ることができないと噂されるのはこのご正殿と思われる。
一般参拝者は板垣の外から参拝するのだが、板垣の門には白い布がかかっていて、強風でも吹かない限りチラリとも中の様子をうかがうことはできないのだ。もちろん監視も厳しく、写真などの撮影は一切禁止されている。
20年に一度の大規模な建て替え
ご存じの方も多いと思うが、正宮は内宮、外宮ともに20年に一度そっくりそのまま、隣り合う同じ広さの敷地に建て替えられる。板垣からご正殿に至るまですべてだ。
その理由は、日本最古の建築様式の伝統と技術を伝えるため、そしていつまでも聖域が清浄であるようにという願いからだといわれている。
この建て替えを「式年遷宮」という。
『日本書紀』によれば内宮が造られたのは2000年ほど前、外宮は1500年ほど前で、年代こそ違いはあるが大かた似た造りになっている。
式年遷宮は1200年以上の昔から続けられており、最近の大祭は2013年に行われている。おもな行事や祭典は山口祭や木本祭に始まり、遷御、奉幣、御神楽まで30にも及ぶものだ。
ちなみに、内宮の正宮の南門正面からはご正殿の「ご」の字も見えないが、正宮の背後にある荒祭宮に回ると、板垣の向こうにわずかにご正殿の茅葺きの屋根がみえる。
それだけでもありがたいという気持ちになるのは、皇族でも入れないといわれる禁断の聖域だからだろう。