『日本の聖地99の謎』
[編]歴史ミステリー研究会
[発行]彩図社
魔界都市と呼ばれる平安京が、風水を意識して造られた都であったことは有名である。だが、じつは江戸も同じような緻密な計画で築かれた都だ。
それを示す最初の証拠は、上野にある寛永寺である。
寛永寺は江戸城からみて東北の方角に建てられている。これはただの偶然ではなく、丑寅(東北)の鬼門封じの意味が込められているのだ。
1625(寛永2)年、将軍家の御用達だった高僧の天海が3代将軍の家光に進言して建立された寺で、京都御所の鬼門封じに延暦寺を建てた平安京の前例にならったと伝えられている。