日本一のラグビー選手になる。そう心に思うことにお金はいりません。
力もいりません。身長もいりません。
思うだけなら何もいらないんです。でも、思わなければ近づきません。――ラグビー 山口良治
テレビドラマ『スクール☆ウォーズ』のモデルとなった伏見工業高校ラグビー部総監督の山口良治は、中学生までは野球少年だった。ところが、入学した高校に野球部はなかった。いやいや入ったラグビー部で、ルールもわからず走り回るうちに魅力に引き込まれ、「日本一の選手になる」と考えるようになったという。
しかし、この願いに根拠があったわけではない。足が遅く、駆けっこではいつもビリだったし、高校も強豪校ではなかった。だが、何かを待つのでなく、何かを強く求める気持ちが、彼を日本代表に選ばれるほどの選手に変えていった。
不可能は神が決める。
しかし人間の意志は不可能を可能にする。――野球 ジム・アボット
先天性右手欠損というハンディキャップを抱えながら、投手として野球を続けたジム・アボットは、八八年のソウルオリンピックで金メダルを獲得。ドラフト一巡目でカリフォルニア・エンゼルスに指名された。プロ一年目から先発ローテーションに入って一二勝をマークし、通算で八七勝一〇八敗を記録した。この言葉は、九三年にノーヒット・ノーランを達成した時のものである。
右利き用のグラブを右手の手首の上に乗せ、投球直後にそのグラブを左手にはめ直す「アボット・スイッチ」によって、守備でもハンディを感じさせない活躍をした。その不屈の姿は、世界中の多くの人に勇気を与えた。
「五輪へ行けたらいいな」から、
「五輪へ行く」と覚悟を決めて練習してきた。――水泳 萩原智子
〇二年の日本水泳選手権で、二〇〇メートル自由形、背泳ぎ、個人メドレーと、一〇〇メートル自由形で史上初の個人四冠を達成し、シドニーオリンピックにも出場した萩原智子も、なかなか先輩に勝てず、日本代表になれなかった時期がある。
その頃は、「代表になれたらいいな」という願望しか持っていなかったという。ところが、「代表になるんだ」という強い気持ちに切り替えてからは、練習への取り組みが大きく変化した。それが、さまざまな記録達成につながったという。まず心が空高く駆け上がると、体や技術は、それを追うように浮揚してくるのだ。
どこでやっても世界ナンバーワンになるという意志を
曲げなければいい。――バレーボール ヨーコ・ゼッターランド
多くの人は、スポーツをやるなら強いチームにいたいと考える。だが、ヨーコ・ゼッターランドの生き方は反対だった。アメリカから日本に移住してバレーボールを始め、高校時代に全国制覇をなし遂げたヨーコには、実業団の強豪チームからの誘いが殺到した。なのに、関東大学リーグの最下位だった早稲田大学への進学を選ぶのだ。大切なのは所属する組織ではなく自分の意志だと考えての決断だった。
ただし、日本代表チームに呼ばれることはなかった。ヨーコはアメリカ国籍でのオリンピック出場を決意、米国代表チームの一員として、バルセロナオリンピックで銅メダルを獲得、アトランタオリンピックにも出場している。
一つのことに専念しようという意志があれば、何だってできる。――自転車 グレッグ・レモン
自転車レースの最高峰ツール・ド・フランスの優勝者は、長く欧州勢が占めていた。そんな中、八六年に初めてアメリカ人として個人総合優勝を果たしたのがグレッグ・レモンだ。その激しい努力の過程を、こう語っている。
「寒い日にみじめなトレーニングをしている時など、ゴルフのコースを回っていればよかったと何度考えたことか。でも最後にはやっぱりツール・ド・フランスに勝つほうがゴルフよりもいいってことになる。だから続いているのさ」。意志の力が未来を拓く面もあるが、好きだからこそ意志を強く持てるという面もあるのだ。
ボロぞうきんのようになっても、アメリカで野球をし続けたい。――野球 松井稼頭央
元西武ライオンズの松井稼頭央が渡米前から口にしていた言葉である。松井は最初に所属したニューヨーク・メッツでは十分な活躍ができず、トレードされたコロラド・ロッキーズで初めて実績を残せたが、まだ成功とはいえなかった。そんな松井に、日本の球団が好条件で復帰を求めてきた。松井は「すごくうれしかった」が、その誘いを断る。「アメリカで何もできていないのに、日本へ帰りたくない」からだ。こうして退路を断ち、背水の陣を敷く。その潔さが現在の彼を形成している。
ボクシングには強い意志が必要だが、
それは必ず形になって返ってくる。カシアス・クレイが証拠さ。――ボクシング アンジェロ・ダンディ
アンジェロ・ダンディは、カシアス・クレイがモハメド・アリを名乗る以前からのトレーナーだ。彼によると、アリはマイアミに引っ越してきた時、予算はあるのに、みすぼらしい安アパートに住んだ。ジムには誰よりも早く来てアンジェロを待つ。トレーニング後も、サンドバッグをよぶんに叩いて最後に帰ったという。
マイアミに来たのは試合に勝ってチャンピオンになるためだ。その目的を達するには、住む場所などどうでもよかったのである。すべてをボクシングに賭ける禁欲的なまでに強い意志が、アリを伝説のボクサーにした。