読みたいトコだけ買える本。
犬耳書店
初めての方へ 記事一覧 無料登録 ログイン
0
-1
kiji
0
1
1105685
0
歴史人物スクープ91
2
0
3
0
0
0
0
歴史
お気に入りとは?

お気に入りボタンを押すとお気に入りリストにこのページが追加されます。興味のあるページ・気になったページを後から確認するのに便利です。

お気に入り お気に入り
源頼朝 新しい説が浮上!? 源頼朝の死の真相に迫る

『歴史人物スクープ91』
[著]日本博学倶楽部 [発行]PHP研究所


読了目安時間:2分
この記事が役に立った
3
| |
文字サイズ

女に殺された哀れなる棟梁


 日本初の武家政権を打ち立てた大立者、源頼朝(みなもとのよりとも)が、妻・政子(まさこ)に殺されていたというが飛びかっている。

 鎌倉幕府による公式記録『吾妻鏡(あづまかがみ)』に、初代将軍・源頼朝の死因が記述されていないことから、頼朝の死因を巡って、様々な憶測がなされているのだ。

 朝廷に仕える右大臣・近衛家実(このえいえざね)は、自身の日記『猪隈関白記(いのくまかんぱくき)』で頼朝の死因を糖尿病と記述している。これは、幕府が朝廷へ内々に頼朝の死因を伝えたものを、近衛大臣が書き残したものとも考えられる。

 とはいえ、現実に幕府からの公式発表がない以上、近衛の記述が正しいのかどうかは不明だ。

 以上の状況から、頼朝の死因に関する記事をあえて削除したのではないかと疑う人が、あとを絶たない。

 現在、有力とされる頼朝の死因は、落馬で負った傷がもとだというものだ。しかし、この説も『吾妻鏡』の内容から類推して導き出されたものに過ぎず、仮説の域を出るものではない。

 では、本当の原因は何か。でいわれているなかで、ユニークだが看過できないものを一つ紹介しておこう。それは妻の政子に殺された、という説だ。

 ある日、頼朝が政子に、御家人のなかで一番容姿の優れている者は誰かと尋ねたことがあった。すると政子は、「畠山重忠(はたけやましげただ)でしょう」と答えた。

 それを聞いた頼朝、自分から聞いておきながら、政子と畠山の仲を疑いはじめたのである。

 二人の関係を暴いてやろうと、彼は畠山のふりをし、そっと政子の寝所に忍び込んでいった。政子にしてみれば、見知らぬ男が寝込みを襲ってきたとでも思ったのだろう。あわてて大なぎなたをふるって抵抗した。その大なぎなたが頼朝の体を切り裂き、哀れ、頼朝は息絶えたという。

 妻の寝床に忍び込んで切り捨てられたのでは、武家の棟梁の面目丸つぶれである。そこで、この事実は隠されることとなり、頼朝は病死として朝廷に報告され、『吾妻鏡』では頼朝の死因についてふれないようにしたのではないか、というのだ。

 この説を証明する手立てはないが、頼朝の死因を巡る論争は、まだまだ続きそうである。

この記事は役に立ちましたか?

役に立った
3
残り:0文字/本文:908文字
この記事を買った人はこれも買っています
      この記事を収録している本
      この本で最も売れている記事
      レビューを書くレビューを書く

      レビューを書いてポイントゲット!【詳細はこちら】

      この本の目次