『[証言録]海軍反省会 3』
[編]戸高一成
[発行]PHP研究所
土肥 それでは第二十一回反省会、時間がまいりましたのでこれから始めさせて頂きます。先般、野元さんからこの次の会の初めに二十~三十分喋らせてくれというご連絡がありましたけど、まだお見えになりませんので、お見えになったらまたお願いしたいと思います。
今日は松田(千秋・兵44)先生の作戦計画について、でございますが、その前にちょっとご紹介申し上げますと、大前(敏一・兵50)さんが「日本海軍兵術思想の変遷と軍備及び作戦」という題で、これは確か幹部学校で講義された題だと思います。
松田 防衛研究所資料。
土肥 防衛研究所資料ですか。それを私どもの海軍文庫で印刷しまして、こういうものにして配っております。これも一応まだ半分です。今回一から七。次の八、九で終わりになります、今の大前さんの論文は。これは私の文庫で、今、一月おきに出しておりますが、色んな事が書いてございます。お回ししますからお願いいたします。
それから十月号(昭和五十六年)の「文藝春秋」、これに私はこの方を存じ上げませんが、小室直樹という方、「私の新戦争論」という論文が出ております。だいぶ長文のものでございますが、海軍の事を非常によく研究して書いておられます。ちょっと驚きましたのは、一万トン巡洋艦辺りができた時に、(主砲の)散布界が大き過ぎて大変困ったと。右と左の大砲の発射時間を〇・〇三秒かずらすことによって散布界が縮まったというような事まで書いてございます。なかなかおもしろい論文でございます。これもお回しいたします。今日のお話は、「歴史と人物」にあります松田先生の論文を中心にして。お願いいたします。