『[証言録]海軍反省会 3』
[編]戸高一成
[発行]PHP研究所
それから、七の国防方針の問題。
参謀本部及び軍令部は、日露戦争当時からの伝統に従い、国防の基本方針、所要兵力量、年度作戦計画等、一連の国防に関する計画を立てていた。それを天皇に上奏し、天皇は、所要のものを総理大臣に見せ、政策へ反映させる手順が執られた。この計画制度に不都合を感じていたものは、当時ほとんどいなかったであろう。これは、大井(篤)さんが書いておられる。しかし、そこには非常に矛盾がある。矛盾の第一は、国防、すなわち国の軍事、非軍事にわたる安全保障を防衛、つまり狭い意味の国防と同一視し、国防を全て軍部の任務とした所に始まる。