『[証言録]海軍反省会 3』
[編]戸高一成
[発行]PHP研究所
次は、直接の原因になる。
いつ果てるともないシナ事変の傍ら、(日独)防共協定、昭和十一年十一月調印を強化して、日独伊三国の共産主義的破壊活動に対する防衛のため、政治、経済、軍事にわたる相互支援を行う事を趣旨とする、新しい協定案が、陸軍主導のもとに進められた。昭和十三年の事である。
陸軍は、この協定を以て、ソ連を目標とするのであるが、同時に英米をも敵とするものであり、ただ、そのような印象を与えないように注意したものである、という立場を取った。これは、海軍の反対する所であり、昭和十四年に入っても、陸海軍の論争は続いた。また、英米を対象としない趣旨では、独伊が協定に賛成しない事も事実であった。平沼(騏一郎)総理は、自ら陸海の意見を調整する着意がなく、米内海相に、それをやらせようとする態度であったので、米内海相は、これに厳しく抗議した。