『[証言録]海軍反省会 3』
[編]戸高一成
[発行]PHP研究所
それから昭和八年頃、明治四十年から昭和八年まで二十六年間の戦闘射撃、戦艦の大口径砲、駆逐艦の中小口径砲に至るまで、全ての戦闘射撃の記録を何百枚という方眼紙に書いて、これは人海戦術で毎週の土曜日私が残って、庭掃除をしている、高等科練習生の優秀な下士官を五〇人採って、それにグラフを書かした。ですから相当精度の良いカーブが書けました。それを見ると、当時記録を見ると大正十二年から実際は昭和十年まで、十数年にわたって使っておった兵棋演習の砲力点というのは、実際の昭和八年頃の連合艦隊の命中率の五分の一だったんです。そういう間違った命中率曲線、砲力点曲線によって、恐らく寺崎(隆治・兵50)さんの時代まではそういう教育を受けておった。