『[証言録]海軍反省会 3』
[編]戸高一成
[発行]PHP研究所
それから、昭和十六年の暮れから戦争が始まって、十七年の前半にはかなりの海戦があった。それから十八年の三月にはアッツ島沖の海戦などあって、十七年の八月八日のツラギの夜戦以外は極めてまずい射撃が多かった。ところが私が十八年の二月に砲術学校に行った時はまだ戦訓というものが十分に研究されていなかった。そこで私は、砲戦術の教官がいないので、お前兼ねてやれ。と言われましたんで、まあ、好きな道ですから大して苦労はないんですが、「砲戦教範」を見ると、まことに旧式なので戦訓を加味して改正案を出したんです。しかし、もうその頃は戦争が始まって一年くらいで、アメリカ海軍とは、まともな決戦ができないような兵力になりまして、そういう砲戦教範の改正案はレイテ沖の海戦辺りで持っていても、何ら役割はしなかったという事になります。