『[証言録]海軍反省会 3』
[編]戸高一成
[発行]PHP研究所
大井 それでは先ほどの続きとしまして、池田氏は昭和十六年十月中旬及川(古志郎・兵31)海相が、いわゆる下駄を近衛(文麿)首相に預けた意見なるものを佐藤賢了陳述通りに取り上げて、これに、何ら批判らしきものを加えていない。読者に対して佐藤陳述を言っているだけなのである。そしてこれによって海軍の戦争責任を論ずるための、いの一番的資料としている格好となっている。しかし私はこれには同意できない。第一佐藤賢了といったような人物に、このような重大な判断の資料を求めた点に問題がある。史家は歴史に対する裁判官のようなものだ。ロッキード事件裁判を見ても分かるように、証人の選定という事、またその証人の証言のうちどれを取り上げ、どれを否決するかという事は、最も根本的に重要なことである。この問題で、池田氏は少なくとも近衛側資料を参照して書かれるべきだった。
池田氏が佐藤陳述を求めた昭和四十四年十二月は、まだ岩波新書「近衛文麿」(岡義武、一九七二年、岩波書店)は世に出ていなかったにせよ、「海軍と日本」を執筆する際にはすでに出ていた。