『田中角栄と越山会の女王』
[著]大下英治
[発行]イースト・プレス
兄姉の死は、昭にとって、たしかに悲しかった。が、半年ほど経つと、すっかり立ち直った。
昭には、現実をいったん受け止め、それに合わせていく運命論者的な資質がそのころから培われていた。解放感に似た思いすらあった。これまでのように、ガミガミとうるさく怒鳴る仁史もいない。ミサも、これまで以上にかわいがってくれる。ちょっと泣き顔を見せれば、オロオロしてなんでも買ってくれる。まさに、昭にとって、わが世の春であった。
昭が小学校六年のとき、それまで町であった柏崎が、市に昇格した。そのとき、昭と親友の瀬下さだは担任に引率され、初代市長の原吉郎にインタビュアーとして出かけたこともあった。ミサはこのことをよろこんだ。
昭和十六年二月、昭は、県立柏崎高等女学校の入学試験を受けた。柏崎市の女学校のなかで、一番の名門校であった。
合格発表の日、昭は、ミサとともに県立柏崎高等女学校に歩いて向かった。ミサは、病気がちであったが、発表の日と聞くと、居ても立ってもいられなかったのである。途中、白竜神社の前を通りかかった。その付近は、蓮沼地帯である。
ミサが、冗談とも本気ともとれる口調で言った。
「ねぇ、アコちゃん、もし落第していたら、ここでお母さんとふたりして死のうか」
「なにを言っているのよ、お母さんたら」
昭は笑って、受け付けなかった。ミサは、日々の生活に疲れ切っている。このままあの世に行ってしまえば、どんなに楽だろうかと考えていたのであろう。
学校の門をくぐると、上級生が走り寄ってきた。
「おめでとう!」
上級生たちは、あらかじめ掲示板を見てくれていたのである。
昭はさすがにうれしかった。そしてミサの手をとり、笑いながら言った。
「これで死なないで済んだね」
ミサは、複雑な笑みを浮かべていた。
県立柏崎高等女学校の入学式の日のことである。昭は、紺地に赤いブレードが二本、そして柏の校章の刺繍の入った制服を着込み、颯爽と登校した。
入学式の後、担任が言った。
「級長は、佐藤」
たまたま同じ学年に同姓同名の生徒がいた。昭は、まさか自分が級長になるとは考えてもみなかったので、とっさにその生徒が呼ばれたにちがいない、と思い込んだ。
「佐藤さん、早く前に出なさい」
隣の生徒が、昭を小突いた。
「昭ちゃん、あんただよ」
昭は、あわてて前に進み出た。内心おかしくてならなかった。
〈合格しなかったらいっしょに死のうなんて、母さんは言っていたのに……。級長だなんて〉
県立柏崎高等女学校は、明治三十四年四月に創立された。質実剛健、質素を旨とし、良妻賢母を範とした名門校であった。男女交際が見つかれば、停学、退学は当たり前のことであった。
飲食店に入るにも、父兄同伴でなければならない。十二月の真冬になるまでは、靴下をはくことすら許されなかった。
さらに不文律として、学校の外で上級生に会ったときには、かならず頭を下げて挨拶しなければならなかった。昭ら新入生は、町を歩くときでも神経を尖らしていた。なにしろ、狭い町である。いつ、どこで、上級生に出会うかわからない。昭は、あまりにも神経を遣いすぎて、別の学校の上級生にまで挨拶をしてしまったことすらあった。
昭は部活動にも専念した。もともと足が速かったため、陸上部に所属した。運動部のなかで花形だった。
昭は、短距離走の選手であった。血統なのであろうか、幼いころから体は強いほうではなかった。特に、心臓が弱かった。しかし、それをハンディとは考えたくなかった。そこで、自分の持てる力を存分に発揮し切れる短距離を選んだのである。
春から秋にかけては、毎日、放課後、ブルマーにはき替え、校庭を走りに走った。冬になると、雪のため、外での練習はできなくなる。廊下での練習ばかりであった。スタートやバトンタッチの練習をしたり、階段の昇り降りのトレーニングに励んだ。陸上部以外の生徒たちが、教室からいっせいにのぞく。昭らは、その視線のなかを、颯爽と走り抜ける。得意でならなかった。
昭は、過酷な練習にも歯を食いしばって耐え抜いた。その甲斐あって、地区大会、県大会にも出場できたのである。青い鉢巻きに青い襷と、青ずくめの出で立ちで大会に出場して走るときの快感といったらなかった。
部活動がすんで、ひとり学校から帰るときは、乙女の心にたちもどった。春は、まるで鯉のような形に残った米山の雪が、より感傷的な気持ちにさせた。秋は、稲穂がたわわに実った畦道を歩きながら、希望を夢に託した。
親、子、孫が生まれ故郷を捨てず、住むことができるようにするのが政治の基本だ。
だからこのトンネルを造ったんだ。
家に帰ると、ミサがかならず家の前で佇んで待っている。バケツに水を汲み、昭の足を洗ってくれる。雨の日などは、傘と長靴を持って学校の途中まで迎えにきてくれた。
昭は寝つきが悪かった。そのため、朝は不機嫌なことが多い。いつまでも眠気が取れないので、ごまかして、「頭が痛い」とミサに訴える。ミサは、怒るどころか、「学校へ行くの止めて、お母さんといっしょにいよう」と、昭が休むのをむしろよろこんだ。
部活動が終わると、ジャムパンをみんなで食べることがある。そのために、家での夕食では、腹が空かない。ご飯を三杯食べるところを、二杯しか食べないときがある。ミサが、とたんに騒ぎはじめる。
「アコちゃん、大丈夫? どこか悪いんじゃないの」
昭は、ご飯を無理矢理三杯かき込んだ。ミサの溺愛ぶりは、昭自身でも恥ずかしくなるほどだった。
ミサは、親戚の家に行っても、落ち着かなかった。
「そろそろ、アコが学校から帰る時間だから」
そういって、お茶の一杯も飲まずに、そそくさと帰るのである。
親戚のひとりが、昭に言った。
「お母さんは、朝から晩まで、アコが、アコがと、アコちゃんのことばかり言っているのよ。アコちゃんだって、もう女学生なのに」
まわりは、あまりの親馬鹿ぶりを冷やかした。
しかし、ミサは、なりふりかまわなかった。自分の息子娘五人を早くして亡くしたのだ。一縷の望みは、昭だけだった。昭だけは、命を賭しても育てあげたい。そればかりを一心に願いつづけていたのである。
しかし、昭はときおり、その母の愛情がうとましく、冗談まじりに言うことがあった。
「わたしもね、十六歳で死ぬかもね」
ふたりの姉が十六歳で死んでいる。だから、自分もその歳で死ぬというのである。
ミサはそれこそ大騒ぎだった。
「なにを馬鹿なことを言っているの! そんなことを言うもんじゃありません!」
いつもはやさしく見守ってくれるミサも、そのときだけはむきになった。