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田中角栄と越山会の女王
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ルポ・エッセイ
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田中角栄退陣す

『田中角栄と越山会の女王』
[著]大下英治 [発行]イースト・プレス


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 田中は、昭和四十九年十月二十八日、ニュージーランド、オーストラリア、ビルマの歴訪に旅立った。


 その前に、田中は昭に言った。

「外遊から帰ったら、すぐに解散する。選挙の準備をしておいてくれ」


 田中は、あくまでも任期の来年七月までは首相の座を降りないつもりであったにちがいない。が、身心ともに弱りきっていた。日本航空の特別機には、寝台をしつらえてもらっていたほどだった。


 昭は、田中の言うとおりに従った。

「わかりました。きちんと選挙の準備はしておきますから」


 ここまでくれば、なんとか切り抜けてあくまでも田中がやりたいようにやらせてあげたい。そのことだけが頭にあった。


 昭は、外遊からもどった田中に言った。

「言われたとおり、選挙の準備をしておきました」


 しかし、田中は、外遊中にじっと考えていたのであろう。

「ワシが身を退かなければ、どうしてもおさまらないと思う」

「そう。あなたの考えるとおりに、おやりになったら」


 田中は、悔しげに扇子を握り締めた。

「ワシは、法に触れることは、なにもしていない。きちんと経済は経済でやってきた。いずれ、それはきちんと説明しなければならない。それが、総理としての答弁ならいい。しかし、人民裁判みたいなのは嫌だ。ああいう屈辱には、とても耐えられない」


 当時、中国では、毛沢東主席の主導下でおこなわれていた文化大革命で、毎日のように党首脳が首にプラカードをぶら下げ、(こう)(えい)(へい)と呼ばれる若者たちに糾弾されていた。いわゆる人民裁判である。


 昭和四十九年十一月二十六日、田中は、ついに総理大臣辞職を表明した。ほぼ二年前、田中は総理大臣の座についたが、その船出は、まわりが騒ぐほど意気揚々としたものではなかった。昭がそのとき思った「退陣の日」が、ついにやってきたのである。


 いつか、この日が来る。昭には、その覚悟はいつもできていた。

〈だけど、国民に歓迎される形で就任したときとは裏腹に、こんなに早く、しかも国民から批難されて退陣するとは……〉


 昭は、母親のミサが死んだときのように、頭のなかが真っ白になっていた。が、体だけは動いていた。事務的な手続きを、まるで機械のようにこなしていた。


 田中は正式に辞職すると、目白邸に引き籠った。次期総裁については、昭に電話で指示してきた。

「次期総裁は、公選で決めるほうがいい」


 次期総裁については、椎名悦三郎にすべてがゆだねられていた。椎名は、次期総裁を選ぶために、自民党の若手から長老にいたるまで、すべての意見に耳を傾けていた。


 昭は言った。

「各期ごとの幹事を呼んで、徹底させましょう」


 その間、昭は、国税庁に呼ばれていた。田中の金脈について、国税庁が動き出していたのである。


 国税庁の係官は、昭が関わっていた室町産業やパール産業について調べていた。


 室町産業は、昭が初代社長だった。市ケ谷のマンションをつくるときに会社として設立した。が、その後、田中の本当の意味での(ふん)(けい)の友である(いり)(うち)(じま)金一に手渡した。以後は、まったく昭とは関わりがない。


 パール産業は、麓邦明、朝賀昭、古藤昇司、麓の義弟とともに設立した。資本金一千万円ほどの会社である。話を持ち出したのは、麓の義弟であった。外国から木材を輸入するという名目でつくった。さらに、朝賀らを会社の役員とすることで、田中からの給料では足りないぶんを昭が出して埋め合わせしていた。


 昭は、どんな事業をしているのかは、さっぱり知らなかった。麓も、すでに田中事務所を去っている。どうなっているのかさえ、知らない。が、知った新聞記者の話では、そのまま麓兄弟が事業を続けているという。


 昭すら事業内容をくわしく知らない会社を、田中が知るわけがなかった。立花隆の「田中角栄研究」を読んだ田中は、昭に訊いた。

「おまえ、そんな会社を持っていたのか」


 もちろん、田中は一円たりとも出資しているわけがない。昭は、国税庁で、実体がほとんどない会社のことを事細かに訊かれた。


 昭は、頭に血がのぼっていた。

〈どうして、まったく関係のないことばかり訊いてくるのかしら〉


 目白に引き籠る田中から、国税庁に呼ばれている昭に対して、慰めもないままに政治の仕事だけ、つぎつぎに言いつけられる。


 昭は、さすがに田中に涙声で怒鳴った。

「ほかに関係者も多くいるのに、なんでわたしだけがこんな辛い思いをしなければならないの!」


 そんなおり、細川護煕は言った。

「今度、スキーに行くのですが、お嬢さんもいっしょにお連れしましょうか」


 お嬢さんとは、昭のひとり娘の敦子のことである。田中が総辞職した直後、昭は、マスコミの集中砲火を浴びながらも、激務につぐ激務をこなしていた。細川は、昭に、パリの風景を描いたリトグラフを家に飾ってくれ、と送ってきてもくれた。細川は、さまざまに気を遣ってくれた。


 十一月二十六日、幕引き官房長官となった竹下登が、田中角栄に代わり、辞任表明文を読み上げた。

「わが国の前途に思いをめぐらすとき、わたしは一夜、(はい)(ぜん)として大地を打つ豪雨に、心耳を澄ます思いでおります」


 昭和四十九年十二月九日、田中内閣は総辞職し、三木内閣が発足した。



 ()()に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋(わらじ)を作る人。



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