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5度の臨死体験でわかったあの世の秘密
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生き方・教養
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はじめに

『5度の臨死体験でわかったあの世の秘密』
[著]小林健 [発行]イースト・プレス


読了目安時間:6分
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死は怖くないし、痛くも苦しくもない




 この本を手にとっていただき、ありがとうございます。


 これもきっと何かのご縁、最後までおつき合いいただけると幸いです。



 さて、突然ですが、あなたは死ぬことが怖いですか?

「ちっとも怖くない!」


 と断言できる方は、おそらくごくわずかだと思います。



 いったいなぜ、人は死を怖れるのでしょう?


 考えてみるに、まずひとつは、死の先に何が待っているかわからないという、「未知」への怖れがあると思います。


 また、すべてを失ってしまうのではないかという、「喪失」への怖れもあるでしょう。



 私は現在、七六歳ですが、これまでの人生で五度死んで、五度生き返りました


 ようするに、五度の「臨死体験」を経験したのです。


 その経験を、これからお話ししていくわけですが、まずみなさんにはっきり申し上げておきたいことがあります。


 それは、「死は怖れるものではない」ということです。


 何しろ、実際に死んだ私がいうのですから、間違いありません。



 五度の臨死体験、いずれも恐怖心を覚えたことはほとんどなく、痛みや苦しみもありませんでした。


 むしろ落ち着いた精神状態で、心地よくさえありました。


 死の瞬間は、まわりの音が静かに消えていくにつれて、徐々に視界がせまくなっていく感じでした。


 しかし、闇に包まれたのは、ほんの一瞬。たちまち銀河系のような美しい世界、新しい世界がパッと開けたのです。


 それは「この世界から消えていく」というよりも、「新しい世界に入っていく」という感覚でした。ワクワク、ドキドキの、すばらしい未来が待っている……そんな喜びに全身がふるえました。



死はただの「通過点」にすぎない




 私が経験した最初の死は、ため池の底に足が引っかかってしまい、水中に二三時間も取り残されてしまった事故でした。


 このときのエピソードは、第1章でくわしくお話ししますが、やはり痛みや苦しみはなく、不安や恐怖もまったく感じませんでした。自然と全身の(せい)()が蒸発していく感覚だけがあり、まるで心地よい眠りにつくような感じでした。


 そして自分の意識が、どこかほかの世界に運ばれていくような感覚を覚えました。


 そのとき、私は確信したのです。死とは「終点」ではなく、次のステージに進む「通過点」であると。



 みなさんが死を怖れる様子を、ジェットコースターにたとえてみましょう。


 多くの人は、年をとったり、病気になったり、あるいは親しい人の死を経験したりすると、死を身近に感じ、怖れの感情を抱きはじめます。


 たとえるなら、ジェットコースターが動きだして、徐々に高いところへと上っている時間です。



 人は誰ひとり例外なく、死に向かって歩んでいます。ジェットコースターが後戻りすることは、絶対にありません。芽生えた怖れは、少しずつ大きくなっていきます。


 その怖れが最高潮に達するのが、ジェットコースターが上り切って、いよいよ高速の下りがはじまる瞬間です。


 がんなどの病気にかかった、手術をすることになった、大きな事故にあった……死がリアルに迫ったとき、みなさんはどうするでしょうか?


 そうです。ほとんどの人は「目をつぶる」ことで、怖れから逃れようとします。



 しかし、それで本当に怖れから逃れることができるでしょうか


 先ほど私は、死を怖いと思う原因のひとつに「未知」を挙げました。


 であるならば、目をしっかり開いて、死について正しく「知る」こと、そして「考える」ことが大事なのではないでしょうか。


 本書がそのきっかけになればと、私は願っています。



「怖れ」を手放せば人生が変わる!




 わけもわからず死を怖れてばかりいると、ただ「死にたくないという焦り」ばかりが先立って、やる必要のない手術や検査をしてしまったり、飲む必要のない薬を飲んでしまったり、逆効果のことばかりしてしまいがちです。


 それでは「生」は輝きません。


 大切なのは、死を怖れながら生きるのではなく、死を正しく理解したうえで、いまこの瞬間の生に夢中になれるかどうかです。



 漠然とした怖れを手放すことができれば、心に余裕が生まれます。


 ものごとを大きな視野でとらえられるようになります。


 みにくく、つまらない執着も消え、美しく生きることができます。


 中身の濃い、充実した毎日を送ることができるようになります。



 みなさんも、そんな人生を送りたくありませんか?



 そもそも、死によって失ってしまうかもしれないと、みなさんが怖れているものは、家や仕事、モノ、お金といった「(げん)()()(やく)」です。それらは、はっきりいってしまえば、この世界が生み出したある種の幻想にすぎません。


 植物にたとえれば、美しい花や、青々とした葉っぱのようなものです。たしかに、それらは美しく、きらびやかに見えます。


 しかし、生命の根源、本当の愛といった、「生の本質」が宿るのはそこではありません。


 冷たく暗い地中に静かに存在する、根っこの部分です。


 根っこは、私たちの目に見えないところにあります。


 しかし私たちの知らないところで、地中から水や栄養分を吸い上げ、生命を維持し、成長させる重要な役割を(にな)っています。


 そしてみずからも、深く、深く地中に伸び、グングン成長しています。


 現代人はとかく、目に見えるものばかり重視し、目に見えない「生の本質」を見そこなっているのではないでしょうか。



 私は五度の臨死体験で、目に見えない世界と対話し続けてきました。


 とりわけ印象に残っているのは、「神さまのような人」との出会いです。

「ここは天国ですか?」


 私がそうたずねると、その人は必ずこう答えるのです。

天国も、あなたが生きているところも、同じひとつの世界です。ただし、あなたたちからは私が見えませんが、私からはあなたたちがよく見えます。いつも、ずっと見ていますよ」


 その人は、こう続けます。

「私たちは、平穏な世界に生きています。つまり、あなたたちが悩んだり、苦しんだりするようなことは、こちらの世界にはまったくありません


 さらには、この世には年齢というものがありますが、あの世には年齢という概念そのものがないそうです。生命の究極の姿として、完成された人たちばかりが暮らしているといいます。



 私が五度の死を通して見てきた世界については、これからくわしくお話ししてまいりますが、死は決して終わりではなく、次の世界への通過点にすぎないという、私の基本的な考えはおわかりいただけたのではないでしょうか。



 冬の世界は、美しく咲き乱れていた花も、青々と息づいていた葉もすべて散り落ち、枯れ果てた木々が寂しく立ちつくす姿に、つい「死」を連想しがちです。


 しかし、それは少し間違った見方です。


 力強く、愛に満ちた生命は、零下二〇度の雪原の下でも、地中にあって脈打ち続けています。


 四季の移ろいは、まさに(りん)()(てん)(せい)を象徴する生と死のドラマです。



 死を怖れず、「いまを生き切る」マインドを、この本で一緒に養っていきましょう。

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