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江戸全170城 最期の運命 幕末・維新の動乱で消えた城、残った城
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歴史
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「元和の一国一城令」と「明治の廃城令」

『江戸全170城 最期の運命 幕末・維新の動乱で消えた城、残った城』
[著]八幡和郎 [発行]イースト・プレス


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 江戸時代の初めまでは、各大名はいくつもの城を持っていた。といっても、戦国時代よりは減ったのだが、徳島藩でいえば七城だった。領内の治安を守るためにも、他国からの侵略を防ぐためにも必要だったし、主要家臣や客分にそれなりの領地と城を与える必要もあったからだ。


 しかし、大坂夏の陣が終わった直後の一六一五年((けい)(ちょう)二〇年、七月一三日に(げん)()に改元)(うるう)六月一三日、二代将軍(とく)(がわ)(ひで)(ただ)は一部の例外を別にして大名領国ごとにひとつの城を除いて廃城とする元和の一国一城令を発した。


 このとき、すべての城が徹底的に壊されたのではない。だが、その後、(しま)(ばら)の乱(一六三七年)でキリシタンたちが、それ以前に中途半端に破壊されて放置されていた()(ぜん)(はら)城(長崎県(みなみ)(しま)(ばら)市)の跡に立てこもって抵抗したことに懲りて、多くの城が軍事的に用をなさないまでに崩された。


 城を持たない大名の居館は(じん)()と呼ばれた。だいたい三万石あたりが城を持てるひとつの基準だが、なかには加賀藩(石川県)の(まえ)()家分家の(だい)(しょう)()藩(石川県)一〇万石、佐賀藩(なべ)(しま)家分家の()()藩七万石、(はすの)(いけ)藩五万石(ともに佐賀県)などは、支藩であるため無用ということで陣屋しか持たなかった。


 また、城主格とされたのが一七藩あるが、これは格式としてだけ城主として扱われていたにもかかわらず城を持たない殿様だった。そのなかには、(さば)()藩(福井県)のように、幕府から築城の許可まで出たのに、(てん)(ぽう)の飢饉などのために工事を見送ったものもある。俗に△△(しん)(でん)藩と呼ばれる大大名の居候的な大名については、(きゅう)(まい)(そう)(はん)からもらうだけで領地は設定されないことも多く、城内や江戸に屋敷があるのみだったが、明治になって領地を宗家から分けてもらって、それぞれ陣屋を構えた。


 また、領地内の交通が不便だったり、戦国時代の家風を残していたりしたことから、仙台藩(宮城県)では「(よう)(がい)」、久保田藩(秋田県)では「(やかた)」、()()藩(高知県)では「()()」、(さつ)()藩(鹿児島県)では「(ふもと)」といった陣屋を一族の分家や家老たちが構えていることもあった。秋田県(かくの)(だて)(せん)(ぼく)市)、高知県()(かわ)、鹿児島県()(らん)(みなみ)(きゅう)(しゅう)市)などがそうで、ミニ城下町などといわれている。


 こうした城や陣屋は廃藩置県ののち、明治六年一月一四日の廃城令で「存置」すべきものは陸軍省の管轄となり、残りは大蔵省(現財務省)が売却することになり、売却されたもののほとんどは解体されて材木などとして使われた。また、主要な城の多くは陸軍用地として使われたが、堀を埋め立てられたり、建物が整理されたりしていった。


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