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江戸全170城 最期の運命 幕末・維新の動乱で消えた城、残った城
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歴史
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加藤清正の熊本城に弱点あり──熊本、佐賀、長崎

『江戸全170城 最期の運命 幕末・維新の動乱で消えた城、残った城』
[著]八幡和郎 [発行]イースト・プレス


読了目安時間:15分
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016──()()国 (くま)(もと) (ほそ)(かわ)家 熊本県熊本市 五四万石



 天下の三名城のひとつといわれる熊本城は、西南戦争で西郷軍の五二日にもおよぶ攻撃を跳ね返し、その名声をますます不動のものとした。また、最近では豪華(けん)(らん)な本丸御殿が復元された。ただ構造が複雑すぎて面積のわりに使える空間が狭いのが欠点だ。加藤清正の子である(ただ)(ひろ)が改易されて細川氏が入ると、御殿は(つぼ)()(がわ)の対岸の()(はな)(ばた)に移された。


 江戸中期から後半にかけて各地で開明的な名君が登場したが、細川(しげ)(かた)はその嚆矢だ。財政改革や殖産興業だけではなく、死刑、追放、拷問を減らして懲役刑を導入するなどした近代的な()(けい)(ほう)(そう)(しょ)を出したり、全国一といわれた(はん)(こう)()(しゅう)(かん)を整備したりした。先駆けだったが、後発組よりは不徹底だった。佐幕派の(がっ)(こう)(とう)や横井小楠などの(じつ)(がく)(とう)、神がかり的な(けい)(しん)(とう)などが抗争を繰り返したことも足かせになった。


 藩主の弟である(もり)(ひさ)(なが)(おか)(もり)(よし)は実学党に近く、長州への寛大な措置を陳情した。その一方で、第二次征長では()(くら)(ぐち)で健闘した。鳥羽・伏見の戦いのときには京都(まつ)(ばら)(どおり)の藩邸での議論は紛糾したが、尾張藩から官軍につくと伝えられて官軍に合流し、各地に兵を出した。この護久が細川護煕の曽祖父である。


 維新後は藩政改革が進められ、二院制の議会や役人公選なども試みられたが、保守派による(しん)(ぷう)(れん)の乱があったり、西南戦争で旧士族が西郷軍に与したりした。

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