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江戸全170城 最期の運命 幕末・維新の動乱で消えた城、残った城
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歴史
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三世紀も「日本一」だった名古屋城──愛知、岐阜

『江戸全170城 最期の運命 幕末・維新の動乱で消えた城、残った城』
[著]八幡和郎 [発行]イースト・プレス


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070──()(わり)国 ()()() 徳川家 愛知県名古屋市 六一・九万石



 織田信長が居城とした清洲城は低湿地にあり、水攻めに弱いと見られた。そこで徳川家康は九男義直のために新しい城を諸大名に手伝わせて築いた。比較的単純な(さし)(がた)だが、何重にも備えられた枡形や馬出を突破しないと本丸に近づけない。


 尾張藩は徳川御三家筆頭だったが、七代将軍(いえ)(つぐ)が死んだときに年齢や能力的に適当な候補者がいなかったため紀伊徳川家に横取りされた。その後、七代藩主(むね)(はる)が倹約令に反発するなどして意地を張ったが、吉宗は家老たちを味方につけて宗春を隠居させ、やがて吉宗の子孫が藩主の座まで奪った。だが、幕末の(よし)(かつ)は支藩の美濃(たか)()藩((かい)()市)出身だが、その父が水戸徳川家からの養子だったため、アンチ紀州派の期待が強かった。


 慶勝はいわゆる一橋派のひとりとして幽閉されたため弟の(もち)(なが)が継いだが、慶勝の処分が解けると隠居させられ、やがて一橋徳川家を継ぎ、慶勝の子の(よし)(のり)が尾張藩を継いだ。第一次征長では征長総督として穏便に収め、王政復古のときは福井藩の松平春嶽とともに徳川慶喜に自重を促した。


 鳥羽・伏見の戦いのあと名古屋に帰って藩内の佐幕派一四名を朝命と称して死罪とした(あお)(まつ)()事件は、非情ではあったが動揺を抑えるには効果抜群だった。さらに中部地方の各藩から勤皇の(うけ)(がき)を集め、官軍の主力として戦った。


 慶勝は名古屋城を破却し、金鯱を献上すると申し出たが、ドイツ公使マックス・フォン・ブラントなどから保存すべきという声も出て、明治一二年に山縣有朋が保存を決定し、ほとんど無傷で残ることになった。また、明治二六年から昭和五年までは名古屋離宮とされた。


 天守閣は小堀遠州によるもので、(そう)(とう)(がた)で破風も装飾のためだけで、最上階に欄干もなく、殿様が登ることを前提にしていなかった。

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