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江戸全170城 最期の運命 幕末・維新の動乱で消えた城、残った城
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歴史
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「徳川家」に翻弄された城たち──静岡、長野、山梨

『江戸全170城 最期の運命 幕末・維新の動乱で消えた城、残った城』
[著]八幡和郎 [発行]イースト・プレス


読了目安時間:17分
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【番外】駿(する)()国 駿(すん)() 静岡県静岡市



 東海道五十三次の宿場の名が府中であるように、現在の静岡市は駿府というよりは府中ということが多かった。駿河の国府、今川氏の居館、そして近世の城、現代の県庁が同じところにある稀有な例だ。豊臣秀吉と和解したのち、一五八五年から五年間にわたって徳川家康が居城とし、一六〇七年に家康が隠居城にした。はじめは()(しま)あたりに新しい城を築こうとしたが、ここに落ち着いた。人質だった幼少期から結婚して二児の父になるまで過ごしたのだから、まさに故郷だ。完成後すぐに火事で焼失して、すぐに再建された。


 家康は一〇男(より)(のぶ)に駿河、甲斐の二国を与えて同居したが、家康の死後、秀忠は弟を追い出して自分の次男である(ただ)(なが)に与えた。だが、忠長の改易後は城代が置かれた。幕末には会津藩が京都から遠すぎることもあり、こちらに移転させようという話もあったが、大政奉還で立ち消えになった。戊辰戦争では官軍の基地として明け渡され、江戸開城後には徳川宗家の一六代目となった家達が駿河、遠江七〇万石を得て移ってきた。


 だが、明治四年には廃藩置県となったため、ほとんどの旗本は江戸に帰ったが、一部は残って茶の栽培などに力を尽くした。また、水戸で謹慎していた慶喜もここに移っていた。江戸無血開城の決断を再評価されて公爵になって東京に戻るまで二〇年間ここにいたが、(さっ)(そう)と自転車に乗って写真撮影や狩猟に出かける姿を、旧幕臣は複雑な思いで眺めていた。


 明治二九年に歩兵第三十四連隊の誘致によって内堀は埋められ、本丸と二の丸がひとつになり、建物もすべて取り壊された。三の丸跡に県庁があり、平成になってから隅櫓や城門が復元されている。


090──駿河国 ()(なか) 本多家 静岡県(ふじ)(えだ)市 四万石



 城下町のなかには近郊の宿場町や港町と一体をなして、城下町そのものの規模は小ぶりというケースがある。

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