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江戸全170城 最期の運命 幕末・維新の動乱で消えた城、残った城
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歴史
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黒船に「不戦敗」した江戸城──東京、神奈川、千葉、茨城

『江戸全170城 最期の運命 幕末・維新の動乱で消えた城、残った城』
[著]八幡和郎 [発行]イースト・プレス


読了目安時間:19分
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【番外】武蔵(むさし)国 ()() 東京都()()()



 江戸時代のはじめまでは現在の(すみ)()(がわ)()()(がわ)の河口で、その周辺は関東でそれなりに開けた土地だった。そこに本格的な城を築いたのは(おうぎ)(がやつ)上杉家の重臣だった太田(どう)(かん)で、利根川の左岸に拠った()()()(ぼう)を牽制するためだった。北条時代も重要拠点だったが、天下を統一した豊臣秀吉が大坂に似たこの地に注目して徳川家康に居城とするように指示した。海から離れた台地上の城を好む家康は秀吉の指示にしぶしぶ従ったものの、気に入らなかったのか江戸滞在は短く、実質的な初代城主は秀忠である。


 北東は隅田川、南東は江戸湾、西側は中小河川や沼をつなぎ合わせて外堀にした。江戸湾の方角は商業地にしたが、ここが弱点だったため、大型船の建造を禁じて脅威を排除した。そのため日本は水軍が弱体となり、異国船がやってきたときはなすすべもなかった。


 ペリーの艦隊など人数からいってそれほどの脅威でもなかったのだが、江戸城に徳川家の人々が住み続けようとしたため、迎え撃って戦うことなどできなかった。一回目の来航のあと、女性たちをさっさと甲府あたりに移し、将軍も大砲が届かないところまで下がれば、やすやすと要求を()む必要などなかったはずだ。当初は大名屋敷を江戸城に近いところに集中させていたが、四代将軍家綱の時代の振袖火事以降は郊外に展開した。東京大学が加賀藩、防衛省が尾張藩といった具合である。


 天守閣は家康、秀忠、家光がそれぞれ築いたが、最後の寛永度天守閣(前掲の挿絵参照)は銅板で壁を覆った豪華なものだった。だが、振袖火事で焼失して再建されなかった。関東の城らしく、石垣だけではなく土塁も多く使われ、土塀で囲まれていたが、維持費用も考慮して松の木で間に合わせるようになった。現在の皇居は世子や(おお)()(しょ)がいた西の丸の跡で、皇居前広場は譜代大名の屋敷が立ち並んでいた地区だ。


 江戸城の本丸御殿は一八六三年に火災で焼失し、江戸開城のときは西の丸御殿が代用されていた。といっても、一四代家茂は大坂城で死んだ。

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